時は今



 自分の知らないところでそういう話もあったりするわけだ。

(こっちはそれどころじゃないんだけどね)

 桜沢静和と交わした会話を思い出して、由貴は気だるい表情を見せた。

「何か──人の好意をただ無下にしたいわけじゃないんだけど、俺、それどころじゃなくて」

 正直にそう話すと、吉野智も真面目に聞く態度を見せた。

「何かあるんですか?」

「…うん。俺、桜沢さんのお兄さんに生前に会っているんだよね。そのお兄さんのことで、ちょっと」

「……」

 それまで朗らかだった智の表情に翳りが差した。

「お兄さんて…」

「春休みに事故で亡くなっているんだよね。ヴァイオリニストの桜沢静和さんのこと。そのことで桜沢さんに聞きたいことがあって」

「──委員長」

 智は厳しい表情で言い渡した。

「あいつ、まだ兄貴のこと、きちんと話したがらない。私にも。話したら思い出させる感じで、私も口に出せない。あいつに兄貴の話を持ちかけんのは今はやめとけ」

「……」

「何で委員長が桜沢静和なんか知ってんだ?どういう理由で涼に聞きたいんだよ」

「……。ごめん。桜沢さんの気持ちを波立たせるようなことは話すつもりないんだけど…」

 何か悪いことをしてしまったようで由貴が謝ると、智も由貴の気持ちを汲んだらしい。智の方も「ごめん」と言った。

「私もちょっとナーバスになってる。…涼がそのことでだいぶ痛い状態になってるの見てきてるせいでね」

「…桜沢さん、だいぶひどかったの?」

「身体はほとんど無傷だったんだけどね。精神的なものでね。最初は食事取るどころじゃないし、こっちも精神的に参っちまったわ」

 そこまで話して、智は息をついた。

「あ、今の話、他の奴にはしないで。気分のいいもんじゃないし。涼にとっても。委員長真面目そうだからこんなことも話すんだけど」

「うん。…ありがとう。話してくれて」

「どうすんの。あいつ、まだ、兄貴のこと平常心で人と話せる状態じゃないと思うけど」

 校内放送で流れた「春」に、器楽室で蹲っていた桜沢涼の姿が思い出された。

 由貴は首をもたげた。

「──そうだね。今の吉野さんの話を聞くと、ちょっと躊躇する」



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