三日月の下、君に恋した
 沈黙は一瞬だったけれど、違和感が残った。

「前の仕事で一度だけ会ったことがあるけど……どうして?」

 どうしてと聞かれると、答えられない。はっきりした理由がないからだ。


「何となく……です」


 菜生は、手にしていた本を机の上に置いた。

 目をそらし続けてきたのは、現実を知るのが怖かったからだ。

 でも、このまま自分から目をそらしていたら、ほんとうに知らなきゃいけないことも知ることができないままだ。


 とても重要な意味をもつものが、すぐそばにある気がする。

 手が届くところにあるとわかっているのに、感じることができない。知ることができない。


 その重要な何かを、菜生はどうしても手に入れたくなった。今の自分にはできないのだとしたら、どうにかするしかない。──自分を。


「前に、話したことがありますよね。私が子供の頃に好きだった本のこと。その作者と文通してたことも」

「ああ……うん」

「会いにいこうと思ってるんです」


 今度の沈黙は、怖いくらい長く感じられた。
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