弟矢 ―四神剣伝説―
弓月と弥太吉が『青龍一の剣』を見つけ出し、鞘に納め、立ち上がった瞬間、それは起こった。

一矢を取り押さえ、これですべてが終わったのだ、と思っていた。一度弛めた緊張の糸を、再び張り詰めた状態に戻すのは至難の技だ。目の前で起こる惨事に、弓月は呆然としていた。


その時、『朱雀の鬼』の動きが止まる。


周囲を見回し、その姿は誰かを捜しているようだ。いったい誰を……弓月がそう思った瞬間、鬼と視線が合った。遠目にも、ニヤリと笑みを浮かべた気がした。それが妙に一矢と似ていて、弓月は心の臓を鷲づかみにされた気分を味わう。

慌てて腰の辺りを探るが、今の弓月は丸腰だ。先ほど『朱雀』を抜く前に、自らの刀を手放したままだった。敵はもういない、『青龍』の回収が優先だ、と思った自分の愚かさが悔やまれる。


「姫っ! お逃げ下されぇ!」


長瀬の叫号が辺りに轟く。


ハッとした弓月の瞳に映ったのは、炎を噴き上げるかのように襲い掛かる『朱雀』の鬼。

弓月は咄嗟に『青龍一の剣』の柄を握った。

だが、『朱雀』に惑わされた自分を『青龍』が選ぶとは思えない。次は確実に鬼になるかも知れない。そんな迷いが抜剣を躊躇わせる。


今の弓月は、ほんのひと月前の彼女とはまるで違っていた。

仇討ちに燃えていた十七歳の少女はもういない。彼女の望みは、平和な未来に思い描く女の幸福のみ。


その時、別の絶叫が弓月に鼓膜に突き抜ける。


「弓月殿ーっ! 『青龍』を抜けっ! 『青龍』を抜くんだーーっ!」


それは弓月が最も信頼する人の声……乙矢の声だった。
 

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