万年樹の旅人

 だが、と横目でルーンを追った。

 長い睫毛が宝石のような瞳に影を落とす。先までの勢いはどこへいってしまったのか、今にも泣き出してしまいそうなほど何かを耐え忍んでいる様子がわかった。腕にあった自分とは違う重みはすでになく、ルーンはぎゅっとドレスの裾を掴み口を結んでいる。

 なぜそこまで呼び名や態度にこだわるのか、ジェスにはわからなかった。しかし、と辺りを見渡す。すでに万年樹の根元までやってきた。落とす影は濃く、辺りにはむせ返るほどの甘い香りが充満していた。強くもなく、またゆるくもない風が、ルーンの長い髪と戯れる。そのたびに、万年樹の香りとは違う甘さが流れてきて、ジェスはため息をひとつ落とした。

 まるで人除けを施したあとのように、周りにはジェスとルーン以外、誰一人としていない。


「わかった。でも周りに人がいないときだけ。そうでないと俺が咎められるってことも覚えておいていください。って、少しくらいは勘弁してくださいね。すぐに全く同じというのは、意外と難しいんですよ」


 慣れないジェスの言葉遣いに、ルーンは勢いよく顔を上げる。ぎこちない笑顔で、不器用な動作でルーンの細い手を取った。そのまま石段の上にルーンを促し、しっかりと腰をかけたのを見届けると頷く。

 戸惑いの色が刷けられているルーンの表情を見ながら、ジェスは彼女の足元を見た。風に凪ぐ草が、ルーンの足首をくすぐる。よく見れば、ところどころ赤く傷になっていた。もともと肌が白いだけに、余計その赤さは目を引く。

 ゆっくりとジェスは腰を折ると、ルーンの足元で揺れている草を抜き、風にまかせて流した。溶けるようにして消えていく細い草を視線で追いながら、ルーンは呆然と何も言えずいた。やがて視線をジェスへと戻すと、ジェスがルーンを見上げて笑う。暖かい手がルーンの足首に触れた。

「せめて靴くらいはこれから履いたほうがいいんじゃないかな」

 そのまま立ち上がったジェスは、ルーンの隣に腰を下ろす。しばらくしたあと、消えそうな声で、そうね、と呟きが聞こえた。

 そのとき見たルーンは、今までみたこともないような表情で、微笑っていた。
< 29 / 96 >

この作品をシェア

pagetop