万年樹の旅人
「飲むな!」
リュウが今まさに口にしようとしていたグラスを咄嗟に手で振り払うと、グラスは勢いよくリュウの手から離れ床に落ちた。同時にジェスの大きな体が傾き、グラスが割れる音と、ジェスが床に倒れこむ音が重なった。火に油を注いだように騒がしかった会場内が、しんと静まり返り、やがて倒れているジェスを見つけると小さな悲鳴を洩らす女性や、真っ青になって同じように倒れる者まで出てきた。床に散らばった赤い飲み物が、まるで血のように広がっていた。
――痺れる。痛い、苦しい。
一瞬にしてしんと静まり返ったホールの中で、ジェスはぼんやりと自分の身に起きたことをひどく冷静に考えていた。
――毒だ。
まだ思考する力が残っていることに安堵し、今にも落ちてきそうなほど重い瞼を必死にこじあける。それでも視界には、薄い雲が張ったように霞んでしまっていた。倒れた体を起こそうとするが、指一本動かない。焦りと苛立ち、自由がきかない体に強い憎悪を抱いた。
「おい! ジェス!」
リュウがジェスの体に駆け寄り、今にも泣きそうな声でジェスを呼んだ。だが、目は開いているものの、どれだけ呼んでも、ジェスの視線がリュウに止まることはなかった。
額や頬、耳の中からうっすらと血が滲んでいる。倒れた衝動で、砕けたグラスの破片が刺さったのだろう。散ってしまった飲み物なのか、それともジェスの血なのか、リュウにはもうそれがどちらなのか判断できずにいた。
「そこの者を捕らえ、一旦お客人たちを下がらせろ」
ジェスの耳にも、リュウの耳にもよく知った声が届いた。
アズの凛とした声音が、騒然とした場に再び沈黙を与えた。