万年樹の旅人
警備に回っていた騎士団の騒がしい足音だけが、近づいてくる。やがてジェスの近くでそれらが止まると、いまだ震えたままの侍女の腕を掴んだ。侍女は抵抗することも、声を上げることもなくただ震えて涙を流した。
「ジェス! ジェス!!」
騎士団のものとはちがう、軽い足音がジェスに寄ってくる。
なんだかとても懐かしいとさえ思える声。ルーンの声も震えていた。
薄い意識の中で、ジェスはしっかりと目を開いて見た。ジェスの傍らで座り込み、床を汚した飲み物ともジェスの血ともわからぬものでドレスを汚していることも気にせず、頬を伝う涙を拭うこともしない、いつものルーンを。
ぼたり、と、ジェスの頬に涙が落ちた。続けてふたつ、みっつと冷たい雫がジェスの青白い頬を濡らす。
自分のために泣いてくれているのだろうか。こんなにも身分の低い、何の取り柄もない男のことを――。
そう思ったら、ひどく寒かった胸が急に温かくなったような気がした。知らない間に、こんなにもジェスにとって、ルーンという存在が大きくなっていたのだ。手を伸ばして「大丈夫」と伝えることができたら、どれだけよかっただろう。だが、それすらもできない。ルーンの泣きじゃくる姿を見つめることが、精一杯なのだ。貴女のことを、大切に思う。そう伝えたなら、どんな表情で自分を見るのだろう。驚くだろうか。それとも怒るのだろうか。こんな状況になってまでも、ルーンのことばかり考えてしまう自分の思いに、ジェスは笑いがこみあげてきた。
「なんで……ジェスが……!」
人目も気にせず声を張り上げたルーンに、ジェスはもういい、と伝えたくて仕方がなかった。もう自分は満足だから、これ以上のものは何も望まないから、と。
だからもう大丈夫。もう泣かなくてもいい。
それに、こんなたくさんの人の前で泣いてはいけない。
――君は王妃になるのだから。