万年樹の旅人
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ジェスの瞼が完全に落ちると、ルーンは涙を止めてぼんやりとジェスの顔を眺めていた。
悲しい、という感情さえ浮かんでこなかった。ただ、自分が何を見て、何を感じているのかさえもわからない、といった虚ろな瞳で、静かにジェスの手を握っていた。
周りが騒がしい。
必死に呼びかけられているような気がするが、それが誰なのか確かめたいとも思わなかった。景色はしっかりとルーンの瞳に映っているのに、それはまるで実感のない幻でも見ているかのようだった。
突然ルーンの目の前が闇に包まれた。誰かが目の前に立ちふさがった、と思い至った瞬間、何者かに力強く腕を引っ張られ、そのときようやく実感が戻ってきた。乾いていた頬に再び涙が流れる。
「ルーン、ここから離れろ」
あまりにも落ち着いたアズの声を聞き、ルーンは激しい怒りを覚えた。
アズに掴まれていた腕を振りほどき、胸の奥で蠢くどす黒いものをぶつけるように彼の目を睨みつけた。
アズの声を聞いて、咄嗟にルーンは悟った。
侍女の策でジェスが不帰の旅路に出たのではない。アズだ。アズに違いない。そう思ったら、すうっと血の引くような冷たさが全身を包んだ。ジェスの死を知っても声ひとつ乱さず、目元に浮かぶのは、死を悼むわけでもなくそれどころか、わずかに安堵しているかのようにも見える。
王族であるならば、常に冷静沈着であれ。そう誰もが口にする。けれど、人の死を目前にしてもそれを守る必要がどこにある。悲しみや苦しみを隠して、冷静を装うのと、感じないのとでは大きく違う。アズは後者だ。そんな冷徹な人間に、誰が尽くそうと、従おうと思おう。もし彼が、ジェスの死を見て涙を流したなら、ほんの少しでも哀悼の意を汲み取れたなら、きっとアズを疑うことはなかっただろう。これほどまでに、憎しみを抱くこともなかっただろう。