美味しい時間
「これって……」
「大阪のマンションの鍵」
「うん……」
「うんって何だよ。それ百花のだけど」
「私の……」
「何? 嬉しくないの? 喜ぶと思ったのにな」
嬉しいよ……。たった一言なのに、それが言えない。
代わりに我慢していた涙が目に滲む。
「おいおいっ。喜ぶ顔が見たかったのに、何で泣くんだ」
「う……嬉し泣き……」
課長の胸に顔を埋める。
愛おしそうに髪を撫でる、その手が好き。
「すぐに会いに来いよ」
偉そうに上からものを言う、その声が好き。
「す、すぐに……行けるかなぁ」
「はははっ、何だそれ」
冗談バレバレで答えると豪快に笑う、その笑い方が好き。
「身体きれいにして、待ってるから」
耳元で囁いて、すぐに私を翻弄する、意地悪な課長が好き。
「ばかっ……」
「でも?」
「……大好き……」
お互いをきつく抱きしめあうと、新幹線がホームに入ってきた。
ゆっくりと身体を離す。
まだ乾ききってない目で課長を見つめると、とびっきりの笑顔を見せる。
満足そうに微笑む課長の笑顔を、目に焼き付けた。
「じゃあ、行ってくる」
「うん。行ってらっしゃい」
少ない荷物が入ったバッグを持ち、課長が新幹線に乗り込む。
少しだけ触れ合うように繋がっていた手を名残惜しげに離すと、ドアが静かにし
まった。
振り返った課長が、ゆらゆらと左手を振る。私も同じように、ゆらゆらと左手を
振った。
二人の薬指からは二人の未来を明示するように、同じ光が輝いていた。
課長が乗った新幹線を見送ると、手に握りしめていた鍵を見る。
『すぐに会いに来いよ』
その言葉が、胸をくすぐる。
今別れたばかりなのに、もう逢いたくてしょうがない。
逸る気持ちを抑えながら階段を下りると、いいニオイが漂ってきた。
デパ地下からかな……。
そうだっ。新作メニューの参考に、ちょっと覗いていこう。
――――慶太郎さんの喜ぶ顔が、もっともっと見たい――――
そんな気持ちが、胸の中を埋め尽くす。そして、二人のための味が増えていけば
こんな嬉しいことはない。
課長のことを想いながら薬指にキスをして、大切な鍵をバッグの中にしまうと、
しっかりとした足取りでコンコースを歩き始めた。


