誰を信じる?(ショートショート)
 それとも綾乃は、それをするための動機がほしかったのだろうか。
 笑顔の裏切りより、怒りの反動の方が、幾分か罪悪感が和らぐからだろうか。
 大通りの路地裏……。綾乃はそこへ行くがために、いつも少しだけ感じている桜木への不満を、大袈裟に怒ってみせたのだろうか。
 桜木はたぶん、しばらく部屋からは出てこない。
 その時間を利用して、急いでハンバーグを焼いてしまい、頭の隅で既に決めていたワンピースに体を通した。午後、9時前。ここで仲直りをしようと部屋から出てこられては困るので、とりあえずキッチンのテーブルに、安心させるようなメモを残し、わざとリビングにマナーモードを解除した携帯電話を忘れたフリをして、そっと玄関を抜けた。
「よぉ」
「し……しっ!」
「何? 人妻がこんな時間にお出かけ? オタッキーは?」
(こっ、この男…!!(怒))
「あっ、しっ、伸こそッ!何してんのよ、こんな所で!」
「えっ、俺? 見て分かんない?」
 伸は駐車場で誰かを待っていたのか、決め込んだ3ピースでバッチリポーズを決めてくる。
「……そのスーツ、いくら?」
「ったく……、スーツの一着くらい、欲しけりゃ買ってやるよ」
「いらないっ!!」
「で? どこ行くのよ? 俺んチくるときはジーパンなのにさぁ。何口紅なんかしてんの?」
「私だって、色々行くとこがあるのよ」
「人妻、夜間徘徊……、いや、夜這人妻?」
「あの、私、急いでますから!」
「……」
 スーツの隣をさっとよぎってもまだ、不審がる視線をちくちくと背中に感じて、
「別に用ないんでしょ!?」
「いや、このマンションの前で犬の首ナシ死体があったらしいから、パトロールにでも、と……」
「じゃあね!」
(伸のやつ。まさか、私がいないの分かってて、桜木を訪ねたりしないわよね……)
 と、危うい仮説が頭をよぎったが、足を止めることはできなかった。
 そのままタクシーに乗り込み、大通りの路地裏の商店街の一角にあるその店を指定する。
 スナック 豊。
 綾乃がこのような店に来たのは、過去に一度だけしかない。やはり中からは黄色い声が漏れ、このドアの中に青い瞼と赤い唇と黒い髭がごっちゃになった顔がいくつも浮かんでいるのかと思うと、ドアノブに手をかけるのに多少勇気が必要だったが、思い切って開ける。
「……」
「あ! いらっしゃい!」
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