誰を信じる?(ショートショート)
「……」
 真剣に考えてしまう、これからの桜木とのことを。
「こうやって、頭を撫でてくれることもない?」
 ふわっと髪に触れられる。緊張して、視線がテーブルから離れなかったが、嫌な気はしなかった。
「……ない……です」
「手に触れたりは?」
 ゆっくりとだが、それでも確実に綾乃の左手に自らの左手を乗せ、撫でてくる。
「あんまり、ない、かも……」
「優しく触るだけでも、全然気持ちが違うでしょ?」
 筒井は手を、結婚指輪をはめている手を優しく包む。
「この指輪はペア?」
「いえ……」
 たった一言に動じてしまい、桜木への不満がわっと溢れた。
 顔を上げて、筒井の顔を見る。
「ごめんね、全部俺のせいだから」
 筒井は言いながら顔を近づけてくる。だが、綾乃はそこから逃げなかった。
「俺が強引なの、ごめんね」
 そう言うと、唇に唇をつけた。
 柔らかい、触れるだけのキス。
 頭を撫でていた手が、いつのまにか肩を抱いていた。
 唇は触れているだけなのに、手はずっと左右に撫で続けられていて、妙なもどかしさが生まれる。
 こんな風にうまく男性にリードされたのは、綾乃にとって初めてのことだった。
 ただ感触を味わうだけのキスはすぐに終わったというのに、筒井を待っている自分がいた。
「これ以上すると後悔するからね、やめておくよ」
 言いながら、手は触れたままで。
「……」
 何を言うべきなのかも分からない。
「ちょっと気分変わったでしょ? 他人と握手しただけなのに」
 ああ、そういうことにしてくれるのだと、内心ほっとする自分もいた。
「……」
 なんとなく、目のやり場に困って、俯く。
「少し、後悔してる?」
 筒井は心配して顔を覗き込んでくる。
 その視線を合わせてしまったせいだ。
 今度は逃げる暇がなかった。
 すぐに唇が触れ、更に、歯に感触が当たる。
 どうすれぱと戸惑ったが、どうすることもできず、ただ筒井の甘い体温を受け入れてしまった。
「これ以上はしないからね、安心して」
 筒井は唇を離し、ぎゅうっと体を抱きしめながら一人呟いた。
 これまでにない感覚に、自分が今何者で何故ここへきて、どうしたかったのかをすべてを忘れてしまいそうになる。
「ごめん、ごめんね、可愛くて……。けど好きなると怖いからやめておくよ。綾乃ちゃんへの責任はとれても、旦那さんの方まで責任とれないからね」
 頭はぼうっとして、それがどういう意味を指すのか全く分からなかった。
「ダメだよ。こんなおじさんに引っかかっちゃ。伸にも怒られる」
「……別に」
「構わない?」
 そういわれると、そんな気になってしまう。
「じゃあ最後に少しだけ……、これでもう、帰すからね」

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