結婚したいから!

結婚ってなんだろう

「さっきのお客様、ずいぶん若いみたいだったね?」

事務所に戻ってきたわたしに、理央さんが声をかけた。

「そうなんです。17歳ですって。今日のところはお話だけしました」

ここは、結婚相談所としては、規模はそう大きくないし、昔ながらの直接対面がメインの地味な会社だけど、老舗だからか、それほど派手に宣伝しなくても、不思議とお客さんが途切れることはない。

今話してきたお客さんは、まだ高校生だった。思わず、紗彩に言われたように「まだ17歳でしょ」って言いそうになったのを我慢した。

年齢は、結婚願望の強さには比例しないってこと、自分の経験からも、ここにくるお客さんからも、知っているから。逆に言えば、わたしの母親以上の年齢の人でも、のんびりと恋人探しを楽しんでいる人だっている。

まして、結婚したい理由や、相手に望む条件となると、まさに千差万別。なかなかこの人、という人が見つからない。いや、正直、見つかったためしがない。少なくとも、わたしが関わったケースでは。

年明け早々、結婚の報告をしてくれたふたりは、元の希望に合わない人同士だったけど、雰囲気が似ている気がして、引き合わせたところ、たまたま気が合ったのだ。だから、悔しいけど、香山くんの言う通り、「まぐれ」とも言える。
「色んな人がいて、それぞれに結婚相手に望むことが違ってて、なかなか難しいですね」

思わず、そうこぼすと、理央さんはちょっと笑った。

「そう?まあ、お客様のタイプは複雑に分かれてても、わたしたちのやることは、単純だと思うけどな」

「え?そうですか?」

「うん。人と人とを繋ぐだけだよ。

海空ちゃんがお客様の結婚まで、ずっとお手伝いする必要はないの。きっかけを作るだけでいいんじゃないかな。

だから、海空ちゃんは、今までどおり、お客さんを大事にして、その人と誰を繋ぐと、いい関係を築けそうか、ってところまで頑張ってみたらどうかな」

そっかぁ。わたし、少し勘違いしてたかも。

「はじめから、結婚することばかり、考えなくてもいいんですね」

「もちろん。結婚したいと思える相手に、はじめから出会えることなんて、かなりのレアケースだから。

海空ちゃんが焦ると、お客様まで焦っちゃうよ」

う。私生活を指摘されたように聞えたのは、自分に片腹痛い部分があるせいだろう。

「わかりました。ちょっと考え方を変えてみます」
理央さんのちょっとしたアドバイスで、わたしはうんと、仕事がやりやすくなった。

必死に、お客さん同士の条件を突き合わせてから、対面する場を設けるのはやめてみた。わたしが会った時のお客さんの印象を大事にして、雰囲気が合いそうな人の中から、最優先の条件が合えば、お勧めしてみるようになった。

それが、意外と、うまく行った。

そっかぁ。好きになっちゃえば、収入とか学歴とか出身地なんて、どうでもいいもんなぁなんて、お付き合いをはじめたふたりを見ながら、思う。

自分の方がからっきしで、恋は長期休暇中なので、お客さんの恋を見守ってるだけでドキドキする。

お客さんたちの恥ずかしそうな表情も、嬉しそうな表情も、わたしを元気にしてくれるみたいで、単純に仕事が楽しくなっていく。

重い足を励ましつつ通勤することがなくなると、時折投げかけられる同期からの嫌味も、さらっとかわせるようになってくる。


落ち着いた目で見ると、気がついた。

わたしのやり方が合わないお客さんも、確かにいるんだってこと。
「ねえ、香山くん。相談があるの」

「電話してくる昔の男のこと?」

「ちっ、ちがう!もうかかってこない!!そうじゃない、仕事のこと!」

「ああ、そ。何?」

つまんない、と書いたような顔で、自分の机に向き直ってこちらも見ないから、相変わらず嫌な奴、って思うけど。

「あのね、香山くんの紹介の方が、合いそうなお客さんがいるの」

ふわふわ頭からの返事はない。

「いろんな人を知ってから、結婚相手を決めたいんだって。わたし、そう言うのは苦手だから、見てあげて欲しい。理央さんには相談してOKもらってるから。」

ちらっと、一瞬わたしに視線を投げかけてくるだけ。

「香山くんだったら、その人に合う人だけじゃなくて、合うかもしれない、っていう人も探せるでしょう?お願い。手伝ってあげて」

ようやく、香山くんが、ちゃんとこちらを見た。
「手伝ってほしいのは、客だけじゃないでしょ。九条さんが『お願い、わたしを助けて』って素直に言うなら、助けてもいいけどー」

もう、ほんと、嫌な奴。やっと話したと思ったらそんなことを言う。

「オネガイ ワタシヲタスケテ」

「どんだけ棒読みだよ、全く思いがこもってねー!ところでその客、女?若い?」

「お客さんを性別や年齢で選ばない!」

「へえ。へえ。わかりやしたー」

まあ、細かい点では、彼の言い方にいろいろ不満もあるけれど。

わたしの話に納得したから、引き受けてくれたんだと思う。前に頼んだ時は、引き受けてくれなかったから。

「じゃあ、この客。九条さんの方がいいと思うから、引き取って」

そう言って、ばさっと資料の束を机に乗せてくる香山くん。

「う、うん!」

同じ仕事をしていながら、別の仕事をしてるみたいに、反対方向を向いていたわたしと香山くんだけど、これからは協力もできそうだとわかると、自分の机に座って仕事をする時間も苦痛じゃなくなるかもしれない、と思えた。
「久しぶりだね?」

紗彩がそう言って、華やかな笑みをこぼす。

肌を指すような冷たい空気をかきわけて、いつもの居酒屋さんに着くと、紗彩もコーイチも、もう来ていた。わたしが最後になるなんて、珍しい。

人生始まって以来、仕事に夢中なわたし。張り切って残業に励んでいたから、遅くなった。

「久しぶり!」

ふたりの顔が並んでると、それだけで嬉しくて、顔がにこにこしてしまう。

「いい顔してるじゃない、海空。彼氏もいないのに」

「そ、そこは指摘しないで。いいの、わたしは仕事に生きるの」

「人の恋愛ばかり見てて、何が楽しいのかねー」

「ちょっ、ちょっと、紗彩、なんか今日、絶好調じゃない?」

毒舌に磨きがかかってる気がする。


「結婚するんだって」


コーイチが、あっさりそう言うから、紗彩に殴られてる。
「結城ってほんと、バカなの!?あたしに言わせてよ!!海空には自分で言いたかったのに!!」

え、え、ええええ!!

「お、おお、おめでとー!」

紗彩が、紗彩が、結婚するって!!

いつもは落ち着き払った表情の紗彩なのに、今日は少し高揚してるみたいに見える。「ありがと」って見せる微笑みは、やっぱり華やかだ。

喧嘩ばかりしてるから、ときどき心配だったけど。会えなかったこのしばらくの間に、彼のプロポーズを承諾する気になったらしい。

「う、嬉し過ぎて、どうしよう!紗彩!!」

言葉では伝えきれなくて、紗彩に抱きつくと、紗彩はわたしの勢いを抱きとめ切れなかったらしくて、ふたりで座敷に転がってしまった。

「なによ、大げさすぎる、海空は」

「大げさじゃないよ、嬉しいよぉ、わたしも」

「うわ、泣くなってば。あたしまで涙が出そうでしょうが」
どうやら、昨日のバレンタインデーに、進展があったようだ。そうなんでしょ、って訊いてもはっきり返事もしない、紗彩って、もしかして。

「紗彩って、照れ屋さんなんだ?」
「そんなことない!」
「こう見えても、かわいいところがあるんだよな」
「うるっさい!」
「じゃあ、昨日、なんて言われたの?バレンタインにプロポーズかぁ。紗彩の話が聞きたいなぁ」
「聞きたいなぁ」

「海空の真似するな。結城、気持ち悪い。…っていうか、そう言えば、あんたも男だったよね」
「そう言えばじゃないし。明らかに男だし」
「チョコは?」
「は?」
「モテないなりに、昨日くらい、チョコもらったの?」
「はっきりモテないって言うな!」
「へえ。じゃあ、仕事関係以外で、もらえた?」
「……あ、俺、喉渇いたなー、ビールおかわり!」

結局、コーイチが紗彩にいじめられて終わる、ってパターンが、やっぱり多くて笑える。

おかしいな、初めはわたしとふたりがかりで、紗彩をからかってたはずなのに。「あっ」

わたしは、気付いた。テーブルの陰、コーイチの鞄の隣に、会社名をプリントした紙袋があること。

「紗彩、コーイチね、今日もチョコもらってるみたいだよ」

「え」

「ほら、あれ、多分そう。わたしのお父さんも、昨日会えなかった人には、今日もらってたもん。そうやって、会社の紙袋にたくさん詰めて帰ってたよ」

「……へえ」

紗彩は、コーイチを押しのけて、まるで自分のもののように、その紙袋を開けている。

本当に義理チョコばかりみたいで、コーイチはちょっと不貞腐れた顔で、新たに届いたビールジョッキに口をつけている。

「見事に義理チョコばっかりだけど、数は結構あるじゃない。そう言えば、御曹司だったっけ。…あっ」

紙袋を覗きながらごそごそ漁っていた紗彩が、ひとつの包みを取り出した。
「このラッピング、シックだけど、手作りっぽくない?本命チョコ?誰にもらったの?」

紗彩の目がきらきら輝いている。対照的に、コーイチは、はあああっ、て盛大にため息を吐いている。


「……秘書」


ドキッ。ひ、ひしょ?一瞬で、知的な美人が、コーイチと仕事をしている場面を想像してしまった。

顔を見合わせた紗彩も、ちょっとびっくりしてこう言った。


「オフィスラブな感じ?」


コーイチは、うんざりした顔でこう言った。


「俺の秘書は男だ。…なぜか、料理とお菓子作りが趣味らしい」


もちろん、わたしと紗彩が大爆笑したことは言うまでもない。
それから、意識的に、紗彩にお酒を飲ませるようにして、ようやく、少しだけ、紗彩の結婚の話も聞けた。

紗彩の口を割らせる前に、わたしが酔い潰れそうだったけど。あぶない、あぶない。


これまで、結婚したら仕事を辞めてほしいって言われてたんだって。

喧嘩の大半はそれだったみたい。

理由がムカつくって紗彩は言ってたけど、彼曰く、営業先で紗彩が口説かれるのが耐えられないんだって。

なんかかわいいと思うけど。あ、そういえば、紗彩だって、彼氏のことをかわいい人って表現してたくせに、ね。


でも、頑として受け入れない紗彩に、痺れが切れたらしく、仕事を続けてもいいから、入籍してくれって泣きついてくるようになったとか。

どれだけ必死なんだろう、彼は。


「しょうがないから、結婚してあげようかと思って」


そう言った紗彩の頬が染まっていたのは、アルコールのせいじゃない。わたしが飲ませたのは、どうせ、紗彩が酔っ払うような量じゃない。

式を挙げるかどうかすら、決めていないけど、入籍だけは来月にでも済ませるそうだ。「早瀬紗彩」っていう名前になるんだって!

ひゃあ!

好きな人と同じ苗字になるって、どんな気持ちなんだろう。

素直に嬉しい顔を見せてはくれないけど、珍しく頬を染める紗彩を見ると、わたしまで幸せを分けてもらったみたいに笑顔になれた。


照れを隠す紗彩と、それをなんとかからかおうと頑張ってるコーイチ。美味しいご飯を食べて、ほろ酔いで、そんな光景を見ていると、幸せだなあって思う。


ずっと、結婚が幸せの象徴だと思いこんでたけど、恋人すらいない自分らしい生活も幸せだ、って、初めて、思える。

やっぱり、ピンクさんの言っていた「解放」とは、まさに、わたしのこの状態にぴったりな表現だと思う。

単に、長い髪からじゃなくて、今までの自分の思い込みからの、解放。


衝突を繰り返したうえで、お互いの妥協点を見出して結婚する紗彩。長い間離れていて、結婚することはなかったけれど、今でも恋人同士のような両親。

彼らの結婚をめぐる考えは、明らかにわたしとは違うだろう。
結婚に、こだわる必要なんて、なかったんだ。

そう思ったら、目の前の視野がぱあっと広がって行くのがわかった。

この関係がいつか終わるんじゃないかって心配する必要のない、親友がいれば、わたしには十分なのかもしれない。

だって、もう寂しくない。


この寒い時期、寝つきが悪くて冷え症のわたしは、冷たいシーツが温まるまで、時間を持て余す。

そんなときには、ふたりのどちらかにメールを送る。相手に時間があれば、電話だってできる。


ひとりだけど、寂しくない。
「ああ、いいところに来た、結城」
「え、なんか嫌な予感がするんだけど」

「あたし、帰るから、海空の介抱頼むね」
「は?熱でもあるのか?」

「あたしからいろいろ聞きだそうと思ってるみたいで、露骨に飲ませてくるから、一緒に付き合わせたら、酔っ払っちゃった。あたしに勝てるはずないのにね」
「鬼…」
「何か言った?」
「いいえ」

「じゃ、後はよろしく。あ、でも海空に手出したら、グーで殴るからね」
「出さねーよ!お前はほんとに手加減なしに殴りそうで怖い」
「ありがと」
「褒めてないって…」

目の前で、紗彩が好き勝手に言い捨てて、鞄を持って帰って行くのを見てるだけで、いつも以上に、やたらと笑える。

確かに、わたしは飲み過ぎたらしい。
「ねえ、コーイチは、まだ結婚願望があるの?」

「うーん、まあ、どうなのかな」

「あれ、意外に歯切れが悪いね。わたしはね、だいぶ薄れたんだよ」

「へえ。どうして?」

紗彩とあれこれ話してた延長で、コートを脱いだばかりのコーイチに、あれこれ話しかける。

コーイチも、座ってテーブルの上の食べ物や飲み物に、適当に手をつけながら、ときどきこちらを見て、話を聞いてくれる。

アルコール漬けの鈍い頭で、自分の部屋の、気楽な空気に安心しきっていた。

だから、わたし、図に乗ってしまったんだと思う。ずいぶん、気分よく、一方的に、べらべらとしゃべったと思う。それは、だいたい憶えている。

眠くなるまで、コーイチがほとんど相槌も打てないくらい、話し続けた。長い独り言に、近かった。
コーイチ、わたしね、おたがいに好きだって思える人と出会えたら、絶対に結婚できるって信じてたの。子どもだったのかなぁ。

でもね、初めて、お互いに結婚したいって思えた玲音さんとも、結婚できなかった。心が通じ合ってるって、信じてた祥くんとも、結婚できなかった。

結局、玲音さんも、祥くんも、わたしの運命の人じゃなかったんだね。どうして、好き合ってたのに、結婚できなかったのかな。今でもよくわからないんだぁ。

…もしかして、わたしにどこか、重大な欠陥があるのかも。

それまでだって、相手ときちんと向き合う恋愛ができてないんじゃないか、ってずうっと心のどこかで思ってたんだよ。玲音さんと会うまで、ずうっと。

たぶんね、それには原因があってね。

ひとつは、お父さんっていう存在を全く知らなくて、男の人に免疫がなかったこと。これの延長として、高校も短大も、女の子しかいなかったって言うことを含んでもいいかもしれない。

もうひとつはね、初恋の相手だった祥くんとのお別れが辛くて、その当時の気持ちに蓋をしたままだったこと。

今では、どっちも方が付いた問題なんだけどね!それなのに、今はね、結婚したいってあんまり思わなくなっちゃった。

いつでも相手に合わせて無理してた、ってことにも気が付いたし、それに、ひとりでも寂しくないって思えるようになったから。

たぶん、ひとりで暮らすようになってから、初めてだと思うな。

すごいでしょ?ね、偉いよね、わたし。やっと大人になったような気がする。

それはね、コーイチと紗彩が親友でいてくれるから、だと思うんだぁ。ふたりのおかげで、寂しくない。会えない時も、寂しくないよ。なんでかな。

ありがと、コーイチ。

でも、一生一人だったら、やっぱり寂しいのかなぁ…。

ああ!そういえば、わたしのお母さんも、好きな人と結婚できずに、ずうっとひとりだったんだ…。


…コーイチ、ま、まさか、独身って、遺伝しないよね?
「遺伝するか、バカ。寂しくなったら来てやるから、変な心配してないで、目を開けろ」

「うーん、急激に眠くなってきたぁー」

「おい、そんなところで無防備に寝るなって」

「だって、ふわふわして気分がいいんだってば」

「ふわふわしてんのは、クッションじゃなくて、ミクの頭の中だな」

「あはは。確かに」

半分まどろんでいるみたいな、心地いい酔い加減。体もぽかぽか温まって、気を遣わなくていい親友と一緒。頭の中は、ふわふわぼんやり、なんの思考も浮かんでこなくて、完全に気を抜いていた。

目を閉じると、あっという間に、夢の世界の入口が見えた。

ほとんど、寝てたと思う。「こら。起きないとチューするぞ」

その言葉で、ほんの少しだけ、意識が引き戻される。
まだ、お互いに壁を隔てて様子を窺うように接していた頃のことを、かすかに思い出す。

なんか、やっぱり、別人みたいだなあ。あのときのコーイチと、今のコーイチ。


「だめだよ。コーイチのチューは、気持ち良すぎて頭が変になるもん」


「…そういうこと、今更言うなよ」

って、コーイチの焦ったような声がしたけど、そういうこと、っていうのがどういうことなのか、すでに、わからなくなっていた。

無意識に口走った言葉なんか、自分の頭には全然残らなかったから。

床の上のクッションに身を任せたままの、その不自然な姿勢で、ぐっすりと深く眠ってしまったから。
朝、目が覚めると、紗彩といっぱい飲んだ割には、ずいぶん頭の中がすっきりしていて、良く寝たんだなぁ、なんて呑気に思っていた。

玄関ドアに取り付けられたポストの真下に、わたしの部屋の鍵が落ちているのを見つけても、コーイチが鍵をかけて帰ってくれたんだ、って思っただけだった。

でも、「寂しくなったら来てやる」って言う言葉だけは、その優しい響きのまま、ちゃんと胸の中でぽかぽかしていた。


ずいぶんと、自分に都合がいいらしい、わたしの記憶装置は。
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