愛は満ちる月のように
「いきなり呼び出して悪かったな。それも、長期休暇中だったんだって?」


大阪支社ビルの応接室に入るなり、先に到着していた匡に声をかけられた。

匡と顔を合わせるのは、年始の挨拶以来だ。何度か東京本社にも顔を出したし、会議もあったが、たまたま社長不在のときばかりだった。



匡は先代社長である祖父の三男だ。父が長男で、次男は関連会社の社長を務めている。他には妹がひとり……叔母の里見静(さとみしずか)はピアノ教師だが、夫の里見隆之(たかゆき)が一条グループ本社で副社長をしていた。

悠が大学三年で自宅を出たとき、真っ先に世話になったのがこの里見夫妻だった。現在、一条邸と呼ばれる先代社長宅に住んでいるのは彼らなのだ。

同居から数年で匡の妻、由美(ゆみ)と姑の仲がこじれてしまい、同居を解消したという。そのすぐあとに祖父が亡くなり、ひとりになった祖母の面倒をみる、という理由で結婚したばかりの静が自宅に戻った。そして今から十年と少し前、祖母も亡くなり……。

父と次男は早々に後継者問題から抜けていたが、問題は匡と里見だ。創業者一族の直系である匡と、外様でありながら静を妻にして一条本邸で暮らす里見、それぞれの派閥がぶつかり合い微妙な様相を呈している。

このふたりにはそれぞれ弱点があり……。

匡には娘がふたりいるが、妻とは随分前から別居状態で、娘も妻と暮らしていた。ふたりとも特別な教育は受けておらず、経営に携わる気はない、と宣言している。

一方、里見夫妻には子供がいなかった。

悠が親元を出たとき、双方から養子にならないかと誘われた。両方の顔を立てるため、悠は断ったが……。


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