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 今でも陣が好きかもしれない。
 だけど私は、それを過去の産物だと思う。
 私が恋した桜の木の男の子は、目の前にいる氷田陣ではないから。
 私は今の陣を、何にも知らないから。
 私が好きなのは、桜の木の男の子の、五年前の幻影。
 今確実に憧れを抱いてるのは、木戸さんのほうだ。


「……みあ、話を聞いて欲しい」
「聞いてるよ」

 帰路に着きながら、私はちゃんと陣の話を聞いている。

「あのな、みあ」
「うん」
「いきなりで、もう言葉が思い浮かばないんだけど」

 陣は困ったように頭をぽりぽりと掻いた。そして、私の目をまっすぐ見つめて、

「また、友達からやり直してくれないか?」
「…………」

 実は、友達という言葉は、少し痛い。
 トラウマ、というやつなのか、過去を引きずっているだけなのか。
 だけど陣は、少し照れたように、

「今度は、前とは違って、恋人を前提に」
「ちょっ、なにそれ?」

 私は思わず笑ってしまった。
 それに、陣は微笑んだ。
 はっとした。
 桜の木に微笑みかけていた彼に、私は恋をしたんだ。
 あの日の、あの頃の記憶が、まざまざと蘇る。
 幻影と現実が、ぼんやりと重なる。

 大学入学の式典で見かけた、桜の木に微笑んでいた男の子。
 私は、その柔らかな笑顔に恋をした。
 見た目に恋をしていた私は、氷田陣と知り合い、彼自身に恋に落ちた。
 それは、辛い恋だった。
 泣いて、笑って、苦しんでは、泣いて。
 嬉しいと感じては、それが虚像であることに苦しんで。
 そして私は、自らすべてに幕を落としたんだ。

「みあ、やっと笑ってくれた」
「……」
「俺ね、みあの笑顔、好きだよ」

 私は、ちょっと言葉に詰まった。

 だけど、それはもう過去のことだと、思っても良いのかな。
 私達は、全く違う状況にあると思っても良いのかな。
 もう、私達は、同じ間違いを、同じエラーを起こさないと思っても良いのかな。

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