絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
仕組まれた出会い
「香月さん、今日お昼ランチ出る?」
 なぜこの人にこんな質問をされるのかまったく分からず、
「え、あ、はい……」
 とりあえず、返事をする。
「この前ね、美味しいとこ見つけたの。良かったら、一緒に行かない?」
 ショートヘアーは軽くパーマが当てられ、それがふわりとなびく。
 今年37になるという今井真紀は、6月1日に営業一課に移動してきてから、まるで華のように振る舞っている女性社員だ。
 手が空いた時は、上司であれ後輩であれ誰にでもお茶を注ぐ。そこで手を休めている人がいるから、当たり障りなく話しかける。仕事が溜まっている人には、手を差し伸べたり、暖かい言葉をかける。そんな自然な態度が、ほとんどの人に受け入れられていた。
「仕事できるってのが一番いいよ。それが楽」
 成瀬らしい意見。確かに、それもそうだ。香月よりは遥かに重要な仕事をスピーディにこなしているし、そもそも新卒で入社してからずっと本社で各部を回ってきたというから、ベテラン中のベテラン。営業部も10年ぶりというが、ちゃんと主任の座をキープしている。
 だが香月は、その今井の洗礼された大人の女があまり好きではなかった。真中部長の妻であり、派手な女教師のような様とは全く違う、別格の女性像が。
 化粧はナチュラルで、白いブラウスの上に羽織った白いカーディガン、すらりと伸びる黒のパンツは清楚そのもの。首元にきらりと光るネックレスも嫌らしさをまったく感じず、彼女自身の顔を照らしているライトと言っても過言ではない。長身を低いヒールの靴でカバーし、細身ながらも色気が十分に伝わってくる。
 香月的に何よりも近寄りがたい理由は、その美貌とスタイル、性格を備えていながら、独身であることであった。なんだか前向きに生きすぎている気がして、見ているこっちの方が、息が詰まるのである。
 成瀬によると、今まで一度も結婚したことがないが、社内では浮いた話がちらほらあったようだ。まあ、15年も独身でいればそんな噂も立つものなのか……。
 昼休み、もちろん先輩からの食事を断らなかった香月は、今井に付いて会社のすぐ近くの路地裏の店に入った。場所が入り組んでいるだけに、聞いたことも見たこともない店だが、グルメ雑誌には何度か掲載されたようで、その切抜きはラミネートを施され、壁に貼りつけられてあった。
「ここ、近くていいでしょ。値段のわりに美味しいのよ」
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