絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ
 だが心が妙に休まったはずなのに、今度は体調が思わしくなくなった。眠れないと思い始めてから、3日、4日、一週間がすぎた。夏の繁忙期のバタバタが終わり、9月の半ばの気候の変化のせいで疲れが溜まってきたからではない。体が変にだるく、早くベッドに入っても、朝起き上がることがかなり苦痛になってきていた。
 なんとか遅刻ぎりぎりで何も食べずに出社して、昼まで働いて、昼休みに温かいココアとパンを片手にうとうとして、夕方までの体力をどうにか保っていた。
 夜も食が進まず、仕事も時間内に終わることができず、バランスがどんどん崩れていく生活の中で、今週の始め。今週は海外出張が延期になると電話が鳴った。
 最後に会ってからちょうど一月半が経っていたが、香月は返事しかしなかった。
 何を言っていいのかも分からなかったし、何を言っても伝わるとは思えなかった。
 そのまま更に半月が過ぎ、10月に入り、仕事の量が妙に更に加速する中、休みの日はベッド以外で過ごすことができなくなっていた。
「寝不足?」
と、聞かれることが多くなった頃には、明らかに目の下にクマができていた。もちろん洗ってもとれないし、仕事を放棄して早く布団に入っても変わらず、化粧に時間をかけるしかなかった。
「どうしたの?」
 聞いてきた今井も仕事の片手間で「最近寝不足なんです」の一言で会話は終了した。
 成瀬は来年からのプロジェクトの主任を任されて、同じように疲れていた。
 城嶋も宮下も一通りは体調のことで声をかけられたと思う。だけどみんな仕事が忙しかったし、本社に来てまだ一年も経っていないので疲れが溜まってきたと思ったようだった。
 巽とはとりあえず週に一度程度、連絡をとりあってはいたが、どれも長電話には至らなかった。結局、海外出張は2ヶ月を過ぎても区切りが付かないようで、もはや会わないことで、自らが落ち着いてきていると感じるようになっていた。
 あとひと月巽と会わなければ、自分は巽を忘れた生活ができるのではないか、と、楽観視するようになってもいた。
が、その矢先。水曜日の夜をなんとも思わなくなっていたその深夜。突然だった。電話が鳴ったのは。
そう、こんな深夜の電話をかけてくるのは、一人しかいない。
 既にベッドの上で浅い眠りについていた香月は、枕元にいつも置いている携帯を手に取り、自分でももどかしいくらい、ゆっくりと受話ボタンを押した。
『もしもし』
「……もしもし?」
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