絡む指 強引な誘い 背には壁 Ⅲ

並べたのは綺麗事

 自分でも分かっていたことだった。
 兄からあれほどまでに衝撃的な事実を聞いた翌日、巽から待ちに待った電話がかかって来ても、自分は不機嫌丸出しで沈黙ばかりで、相槌しか打たないことは。
 しかしそれが実は、自分なりの攻撃の仕方であったが、巽は忙しいのか、早々と電話を切ってしまい、結局声を聞いたに過ぎなかった。 
四対の美女こともそうだが、それ以上にインパクトのある兄の話しの方が圧倒的に頭を支配していた。
 情けなかった。言い出せなかったことが。
 不思議だった。言い出さなかったことが。
 巽は20歳の頃、愛した女性がおり、子供を成し、結婚には至らなかったが、女性は一人で子供を19歳まで育て上げた。そして、昨年、死んだ。
この前行った墓参りとは、この女性のことに違いない。
しかも、女性が妊娠して流産して死んだという話はまるっきりの嘘か、もしくは、自分の中でそう思って生きてきたか。
過去のことが嘘なのか本当なのかということよりは、今の巽が、この一人息子のために、もう二度と子供を産まないと決心していることを一番重視しなければならない。
そして今も息子はどこかで生き、彼と同じような道を歩もうとしている。
 そう考えると、もう絶対に自分が巽の子を身ごもることなど有り得ないと強く感じた。
 彼はそれであそこまで結婚を拒んだのであろう。納得がいった。
 巽との付き合いは「今を楽しむ」。先がないのなら、せめて今のままで、今を楽しめばいいと思っていた。が、今は「今」をどうやって楽しめばいいのか、また楽しんでもよいものか、不安になってきていた。
 巽は息子のことを知っているのだろうか。
 前妻が亡くなったことを、どこで知ったのだろうか。
 それとも、離婚してから、連絡は取り合っていたのだろうか。
 もしかしたら附和が言っていた、マンションで見かけた女性の話は本当で、この女性のことだろうか。
 そして、一番重要なのは、過去を知った自分のことをどういう風に見るのだろうか。
 全てが謎であって、到底、巽の口から聞き出すには勇気がいるものであった。
 翌週初めに、今週は会えないと連絡があった。
 心のどこかで好都合な気がした。
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