毬亜【マリア】―信長の寵愛姫―
「忙しそうですね」と私は洗いたての手ぬぐいを差し出した。

「忙しくねえよ。ただ暑ぃんだよ。今年の夏は蒸しすぎだ」

 信包が、受け取った手ぬぐいで顔を拭いた。

「私がいた国より、ずっと過ごしやすいけどな」

 小春日和って感じだけどね。

 信包が私の時代に来たら、蒸し暑さのあまり溶けてしまうかもね。

「そう言えば、こんな噂を知ってるか? 兄上が『勝利の鍵』にご寵愛中ってさ」

「知らない」

「どこに行っても兄上は、あんたにあげる物ばかり物色しているとか。商人も、農民も。あんたに貢げる物品を手に入れて、兄上に面会しようとしてるんだと。兄上ご寵愛の姫にあげる物を用意すれば、兄上が良い返事をしてくれるとかって。街に行けば、その噂でもちきりだ」

 信包が、けらけらと笑い声をたてた。

 私は首を横に倒すと、眉に力を入れる。

 なんだか納得いかない。

 信長はそこまで私に溺れてないと思う。

 私を愛してくれるとは言ってくれてる。でも『ご寵愛』っていうほどじゃない。
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