女の隙間、男の作為

『本体からもあたしを名指しですか?』

『無論だ。お前の名前はカノが思っている以上に知れてる』

『大酒飲みだって?』

『それもあるがな』

それは喜ぶべきことだ。
自分の実力が社内だけでなくグループ会社全体に評価されているのだから。

でも。

『期間は?』

『下期から1年』

『下期って10月からってことですか?中途半端ですよ』

『俺もそう思ったが、向こうは明日にでも人材が欲しいらしい』

『1年のフロリダ勤務を決断する猶予は何日あるんですか?』

『今月末には正式な回答をしなくちゃならない』

ポーズじゃなく頭を抱えた。
実質あと10日で1年のフロリダ勤務を決断?
嘘だろと叫びたいし悪い冗談だと言って欲しい。

受け入れれば瑞帆よりも先にこのオフィスから去り、1年は戻ってこられない。

瑞帆がいなくなることを嘆いていたのはほんの数週間前のことなのに。

『…瑞帆とあたし、二人が一気に抜けたらどうなるんですか』

『言うな。俺だって頭が痛い』

誰かが抜けたら回らなくなる組織なんてダメだ。
それはもちろんわかっている。
でも実際問題、火を噴くのは明らかだろう。

後輩の女の子達では心許ない。

『コレはどこまで下りている話ですか?』

『まだ役員と俺だけだ。石井にも言っていない』

我がグループリーダーすら知らないオフレコの人事異動の打診ということだ。
つまり他言無用。誰かに相談すらできない。

『部長はあたしに海外勤務が務まると思っているんですか?』

入社して6年。
このフロアしか知らないのに。

『語学力は申し分ない。セキュリティもきちんとした高級フラットが用意される。
車も運転手も守衛もついている。ビールの美味い店も近くにある』

“仕事内容は今と変わらない。ただ後輩の人材育成が加わるだけだ”

簡単に言うなと言ってやりたかったけれど我慢できるだけの分別は残されていた。
具体的に提示される条件は、ほぼ話が確定しているということの裏づけに他ならない。

『わたしは部長が期待する貸しに匹敵しますか?』

『愚問だ。俺はこの貸しを武器に本体の監視と制約にメスを入れる気でいるからな』

結城が聞いたらさぞ喜ぶだろうなと思った。
アイツは本体からの監視や縛りを常々鬱陶しいと溢しては“何もしないくせに利益だけはもっていく”と悪態を吐いている。

『わたし、身売りするみたいじゃないですか』

それはもちろんジョークのつもりだったのだけれど部長は“それを言ってくれるな”と二日酔いのとき以上に苦い顔をしたので、つい泣き出しそうになってしまった。

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