描かれた夏風
 智先輩は無表情な瞳を私に向けて、次に発せられる言葉を待っている。

 私は前に一度経験したことのある恐怖感を覚えた。

 ――智先輩が智先輩でなくなってしまうような、そんな感覚。

「あの……今日は裏庭には行かないんですか?」

「理由がないって言ったはずだけど」

 おずおずと切り出した私に、智先輩はどこか責めるような口調で応じる。

「僕はもう二度とあそこには行かない。西口さんとも関わらないよ。――用がそれだけなら、もう行くよ」

 くすんだ声で言うと、智先輩は今度こそ私を置いて歩き始めた。

 表情からも歩き方からも、拒絶の感情がありありとうかがえる。

 私は必死で智先輩の後を追いかけた。

 廊下の人目も気にせず、震えた声で問いかける。

「理由がないと、駄目なんですか? 智先輩は裏庭には来てくれないんですか?」

 智先輩は答えてくれなかった。

 歩幅が大きくて、小走りしないとついていけない。

 私が足を止めれば、智先輩の背中はぐんぐん小さくなっていった。

「先輩……っ!」

 ――ここで勇気を振り絞らなかったら、きっとずっと後悔する。
< 55 / 134 >

この作品をシェア

pagetop