愛を教えて ―番外編―
「じゃあ、先生にはなられないのね」


藤原社長の奥様に台所に立ってもらうなんて、と最初は遠慮していた夏海だったが……。

万里子にすれば、メイドやコックのいる生活のほうが不慣れというもの。片付けの手伝いを申し出て、ふたりは並んでキッチンに立っていた。


「小学校の教諭にならなれたんですが、幼稚園の採用試験がなかなか……。そうしているうちに結婚が決まって。卒論も書き終えてますし、卒業まですることがなくなってしまいました」


絵本の読み聞かせを褒められ、幼稚園の教諭になりたかったことを万里子は口にする。


「そうね。立場上、就職は難しいでしょうね」

「はい。もう諦めています。大学まで出してくれた父には申し訳ないですけど。無駄にさせてしまって」

「人生に無駄なことなんてないわ。遠回りだって必要なことだし……。大学は四年間でしょう? 私たちの人生はあと半世紀も残ってるのよ。学んでいてよかったって思う日が来るんじゃないかしら。まあ、聡さんの場合、とっくに折り返し地点は過ぎてるんだけど」


夫には『あなた』と、子供たちの前では『お父さん』と夏海は呼んでいた。

だが、時折お腹を気にしながら『聡さん』と呼ぶ声が一番温かく感じる。

万里子はひとつの勘違いをしながら、それでも夏海が羨ましくて仕方がなかった。


< 32 / 283 >

この作品をシェア

pagetop