愛を教えて ―背徳の秘書―
二時間後――。

香織は自宅マンションのキッチンに立ち、保冷材をタオルで包んだ簡易的な氷枕を準備していた。

奥の六畳間は和室だが、ウッドカーペットを敷き洋室風に使っている。部屋の隅には折りたたみ式のセミダブルベッドが……そしてその上に眠っているのは瀬崎であった。


銀行を出てすぐ、風邪薬と体に貼る冷却シート、スポーツ飲料などを買っていこうと、香織はドラッグストアに車を停めた。

買い物を済ませ、駐車場に戻ったとき、瀬崎は荒い息ながらも眠ってしまっていて……。

瀬崎の自宅住所は聞いていないし、まさか、持ち物を探って調べるわけにもいかない。

香織は彼をそのままにはできず、自分のマンションに連れてきたのだった。


スーツがしわにならないよう、上下とも脱がせた。

若い娘のように頬を赤らめそうになったが、香織は三十路を過ぎたバツイチである。ただでさえ、恥ずかしがる仕草が似合うタイプでもない。瀬崎も独身と言っていたので、問題にはならないだろう。

いや、そもそも病人相手に、どんな問題が起きるというのだ。


(きっと目を覚ましたら、襲われたんじゃないかって思うくらいね)


香織は瀬崎の寝顔を見ながらクスッと笑った。

風邪だけでなく、疲れもあったのかもしれない。

車から降りて二階にある香織の部屋に上がるとき、眠ったように目を閉じたままだった。服を脱がせたときも、薬とスポーツ飲料を飲ませたときも同様だ。

おそらく、熱が下がったら覚えてもいないだろう。

世話を焼く香織の手を握り、『もういいよ、ミホ』――ごく自然に女性の名前を口にしたことなど。


(別に、何も期待なんてしてなかったし)


心の声に、香織は小さく首を振った。

いや違う……本当は、何かが始まることを期待したのだ。

瀬崎は家庭的で誠実な男性に思えた。彼なら香織の手料理を喜んで食べてくれるかもしれない、と。

懲りもせず、淡い幻想を抱いていたのだった。




< 163 / 169 >

この作品をシェア

pagetop