愛を教えて ―背徳の秘書―
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退社時間が過ぎ、香織は洗面所で軽く化粧を直し、ロッカールームで上着を羽織る。

従業員用の出入り口でIDカードを取り出し、機械に通してようやく外に出られる。

クリーム色の花柄の傘を差し、最寄の駅まで歩こうとしたとき、道路を挟んだ第二駐車場の奥に一台の軽自動車を見つけた。色はシルバー、年式は少々古いが流行のワゴンタイプだ。

見覚えのある車に、香織は年甲斐もなく胸がどきどきして落ち着かない。

彼女はゆっくりとその車に近づいた。

思ったとおり運転席に瀬崎が座っている。だが、どうも様子がおかしい。きちっと着ていたスーツのボタンを外し、ネクタイも緩めている。

彼は目を閉じ、シートにもたれかかっていた。


香織は運転席の窓をコンコンと叩く。すると、すぐに窓が下がった。


「すみません。すぐに動かしますから」

「あ、いえ。あの、瀬崎さんでしたよね? どうかなさったんですか?」


窓から覗き込むと、瀬崎の額には玉のような汗が噴き出している。瞳は潤んでいて、息も荒い。


「ああ……えっと、志賀さん、ですよね? 支店長秘書の……。申し訳ありません」

「いえ、ひょっとして具合が悪いんですか? 酷いようなら救急車を」

「とんでもない! 睡眠不足で風邪をひいてしまって。たいしたことはなかったんですが、今日の午前中、雨に濡れたのがまずかったみたいです。車に乗った途端、眩暈がして」


そうはいっても、瀬崎が銀行を出てから、すでに数時間が経過している。


「どなたか、電話で呼ばれてはどうでしょう? ご家族の方……奥様とか」

「僕は独り者なので……それに、この車は社用車ではありませんから……最悪の場合、駐車場の隅にでも」

「あの、でしたら私が運転してお送りします! 軽四でオートマなら、運転経験がありますし」

「いえ、そんなご迷惑は」

「困ったときはお互いさまです。ご自宅までお送りして、私は最寄の駅から電車で帰りますので、心配なさらないでください」


ベンチシートを利用して瀬崎を助手席に押しやり、香織は運転席に乗り込んだのだった。



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