フライングムーン
第八章
次の日、彼は花のタネを持ってやってきた。
“これを庭に植えよう”と張り切っていた。
私は少し困った。
最近の私はもう庭にすら出られなくなっていた。
私は“庭には出られない”と正直に彼に伝えた。
彼は表情を変えずに“僕がタネを植えるから君は中から見ていて”と言った。
私は自分が嫌になった。
自分の家から出られない。
彼と一緒に花のタネを植える事が出来ない。
そんな自分が嫌になった。
彼は一度、家の中に入って出窓から庭に出た。
“今日は太陽が出ていて気持ち良いよ”と背伸びをする彼を私は家の中から見つめた。
太陽の光を浴びる彼を初めて見た。
そして太陽の光を浴びていない自分に気付いた。
すぐそこに彼がいるのにとても淋しい気持ちになった。
私は彼から目を離していつも通りコップにジュースを注いだ。
出窓までコップを持って行くと楽しそうにタネを植えている彼が見えた。
私はいつものように“どうぞ”とコップを差し出す事が出来なかった。
彼はただ立ち尽くす私に気付いて“どうしたの?”と手を止めた。
私は“なんでもないよ”とコップを出窓の近くに置いた。
タネを植え終えた彼は空を見上げて“今日も月がフライングしてる”と笑った。
私は彼が見たフライングした月を見る事が出来なかった。
それを見るには庭に出なくてはならない。
私には出来ない事だった。
私は黙ったままジュースを飲んだ。
この日、彼はロフトに上がろうとは言わなかった。
ソファーに座ってジュースを飲みながら話しをした。
私は“何の花のタネを植えたの?”と彼に聞いた。
彼は笑いながら“咲いたら分かるよ”と答えた。
また変な感じがした。
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