白き薬師とエレーナの剣
◇◇◇◇◇◇◇◇◇
年の瀬が近付くにつれて、冴えた風は荒れ狂い、横殴りの雪が絶え間なく降り続ける日が増えてくる。
何度冬を迎えても、その息すら凍りつく寒さに慣れることはない。
しかし外へ出ることが困難なこの時期は、他国から攻め込まれる心配もなくなり、少しは心穏やかに過ごすことができた。
イヴァンは自室のソファーに腰掛け、目前の机に置かれた遊技盤――チュリックを凝視する。
駒を並べて陣地を奪い合っていくこのゲームは、バルディグの数少ない娯楽の一つだった。
ちらりと向かい側に座っているルカの表情を伺う。中盤の戦局を優位に進めているためか余裕が漂っている。
どう戦局を引っくり返して悔しがらせてやろうか。
イヴァンは頭を目まぐるしく働かせ、勝利への軌跡を描いていく。
いくつか道が見えたところで駒を摘み、右隅の手前に置く。
カツン、という音と同時に、ルカの唸る声が聞こえてきた。
「そうきましたか。どうお応えしようか……王子、少し時間を下さい」
ルカがわずかに身を乗り出して遊技盤を真剣に見つめる。
闘争心は無さそうな外観だが、ルカは昔から負けず嫌いで、自分よりも立場が上の者であっても容赦しない。
そんな彼を終盤で逆転して負かすことが、イヴァンの密かな楽しみだった。
しばらく沈黙が流れた後、ルカが駒を摘み、イヴァンが置いた駒と対象になる位置に置く。
彼にしては珍しく、守りに入っている。違和感を覚えてイヴァンは目を細めた。
「何かあったのか、ルカ?」
ハッと息を引く音の後、ルカからため息が聞こえてきた。
「実はこの間、兵舎にいる者たちとチュリックで競い合っていたのですが……飛び入りのナウムに負けてしまいました」
意外な名前が出てきて、イヴァンは目を瞬かせる。
「エレーナの兄? お前を負かしたとなると、かなりの強者だな」
「ええ。私だけでなく、その場にいた誰もが何度挑んでも彼に敵いませんでした。あの若さであんなに強いなんて、末恐ろしいですよ」
ルカはゆっくりと顔を上げると苦笑を浮かべた。
「少しでもこちらが攻めに出たら、その隙を上手に突いてくるんですよ。しかも自分は意図して隙をちらつかせて、罠にはめてしまうんですから……おかげで強気で攻められなくなりました」
笑って話しているが、ルカの胸中は穏やかではないだろう。
イヴァンが知っている中で、ルカの腕前は群を抜いている。自分も強い部類に入るが、十回勝負をすれば、六、七回はルカが勝ってしまう。
なんと稀有な逸材だと感心する一方、その回り過ぎる頭脳が恐ろしくなってくる。
イヴァンは駒を持ちながら腕を組み、背もたれに寄りかかった。
「なんと食えない小僧だ……エレーナとは大違いだな」
息をつきながら、エレーナの顔を思い浮かべる。
見た目からして清らかな少女だが、何度も会って話をしていくと、その中身も純粋で真っ直ぐなものだと分かってきた。
他愛のない話をしていても言動の端々から、相手が喜んでくれれば、それだけで嬉しいと心から思っているのが伝わってくる。
初めは女性特有の計算高さから人畜無害な人間を演じているのかと思ったが、いくら話しても鼻につくことはなく、今ではこれが素なのだろうと思えるようになった。
今まで多くの人間と相対してきたが、ここまで欲が滲み出ない人間は初めてだった。
城へ来る前は生家がある山奥の村から離れたことはなく、いつも森で両親に薬草のことを教えてもらっていたと聞いている。だからここまで世慣れしていないのだろう。
最近はエレーナを疑うだけ無駄ではないかと思い始めているが、確証がないまま決め付ける訳にもいかず様子を伺い続けていた。
年の瀬が近付くにつれて、冴えた風は荒れ狂い、横殴りの雪が絶え間なく降り続ける日が増えてくる。
何度冬を迎えても、その息すら凍りつく寒さに慣れることはない。
しかし外へ出ることが困難なこの時期は、他国から攻め込まれる心配もなくなり、少しは心穏やかに過ごすことができた。
イヴァンは自室のソファーに腰掛け、目前の机に置かれた遊技盤――チュリックを凝視する。
駒を並べて陣地を奪い合っていくこのゲームは、バルディグの数少ない娯楽の一つだった。
ちらりと向かい側に座っているルカの表情を伺う。中盤の戦局を優位に進めているためか余裕が漂っている。
どう戦局を引っくり返して悔しがらせてやろうか。
イヴァンは頭を目まぐるしく働かせ、勝利への軌跡を描いていく。
いくつか道が見えたところで駒を摘み、右隅の手前に置く。
カツン、という音と同時に、ルカの唸る声が聞こえてきた。
「そうきましたか。どうお応えしようか……王子、少し時間を下さい」
ルカがわずかに身を乗り出して遊技盤を真剣に見つめる。
闘争心は無さそうな外観だが、ルカは昔から負けず嫌いで、自分よりも立場が上の者であっても容赦しない。
そんな彼を終盤で逆転して負かすことが、イヴァンの密かな楽しみだった。
しばらく沈黙が流れた後、ルカが駒を摘み、イヴァンが置いた駒と対象になる位置に置く。
彼にしては珍しく、守りに入っている。違和感を覚えてイヴァンは目を細めた。
「何かあったのか、ルカ?」
ハッと息を引く音の後、ルカからため息が聞こえてきた。
「実はこの間、兵舎にいる者たちとチュリックで競い合っていたのですが……飛び入りのナウムに負けてしまいました」
意外な名前が出てきて、イヴァンは目を瞬かせる。
「エレーナの兄? お前を負かしたとなると、かなりの強者だな」
「ええ。私だけでなく、その場にいた誰もが何度挑んでも彼に敵いませんでした。あの若さであんなに強いなんて、末恐ろしいですよ」
ルカはゆっくりと顔を上げると苦笑を浮かべた。
「少しでもこちらが攻めに出たら、その隙を上手に突いてくるんですよ。しかも自分は意図して隙をちらつかせて、罠にはめてしまうんですから……おかげで強気で攻められなくなりました」
笑って話しているが、ルカの胸中は穏やかではないだろう。
イヴァンが知っている中で、ルカの腕前は群を抜いている。自分も強い部類に入るが、十回勝負をすれば、六、七回はルカが勝ってしまう。
なんと稀有な逸材だと感心する一方、その回り過ぎる頭脳が恐ろしくなってくる。
イヴァンは駒を持ちながら腕を組み、背もたれに寄りかかった。
「なんと食えない小僧だ……エレーナとは大違いだな」
息をつきながら、エレーナの顔を思い浮かべる。
見た目からして清らかな少女だが、何度も会って話をしていくと、その中身も純粋で真っ直ぐなものだと分かってきた。
他愛のない話をしていても言動の端々から、相手が喜んでくれれば、それだけで嬉しいと心から思っているのが伝わってくる。
初めは女性特有の計算高さから人畜無害な人間を演じているのかと思ったが、いくら話しても鼻につくことはなく、今ではこれが素なのだろうと思えるようになった。
今まで多くの人間と相対してきたが、ここまで欲が滲み出ない人間は初めてだった。
城へ来る前は生家がある山奥の村から離れたことはなく、いつも森で両親に薬草のことを教えてもらっていたと聞いている。だからここまで世慣れしていないのだろう。
最近はエレーナを疑うだけ無駄ではないかと思い始めているが、確証がないまま決め付ける訳にもいかず様子を伺い続けていた。