白き薬師とエレーナの剣
 ルカが上体を軽く前に倒し、イヴァンへ顔を近づける。

「エレーナに関しては、怪しい動きがまったく見受けられませんね。温室と薬師たちの部屋を行き来するだけで、接している人間も限られています。ですが――」

 視線をずらし、思案してからルカは再びイヴァンへ目を合わせる。 

「――ナウムの方は怪し過ぎて気が抜けません。城へ来てから数ヶ月しか経っていないのに、多くの人間と接点を持って情報を聞き出しています。ただ、あの頭の良さなら、もっと怪しまれずに立ち回ることもできるハズ。もしかすると……」

「わざと怪しまれる行動を取っているかもしれない、と?」

 イヴァンの言葉にルカが小さく頷く。

「はい。何か秘密があって、それを悟られぬために敢えて大胆な行動に出ている気がします。それに、あの少年の体に触れてみましたが、兵士の肉付きに近かった……何かしらの訓練を受けている可能性が高いですね」

 段々とルカの表情が険しくなり、苦虫を噛み潰したように顔をしかめる。

「こうやって疑うことすら、彼の思惑通りな気がしてなりません。こんな厄介な相手は初めてですよ」

 いつも冷静さを失わないルカが、珍しく頭に血が昇っている。
 思わずイヴァンは一笑し、肩をすくめた。

「もしかしたら、単に可愛い妹を守るために鍛えているだけかもしれんぞ? 前に話をした時に、妹への愛を熱弁してたからな。人脈を作っているのも、出世してエレーナに苦労させないためとも考えられる」

 間近でナウムの顔を見た時、妙に隙がなくていけ好かない印象を受けた。
 だが、エレーナのことを語った時だけは目に力が入り、本気でそう思っていることが見て取れた。

 普通の兄妹よりも行き過ぎている気はするが、確かな愛情がそこにある。
 少なからず妹のために必死になっていることは間違いなかった。

 ルカが面目無さそうに瞼を閉じると、「そうですね」と相槌を打った。

「もし裏がなければ、そうと考えるのが妥当ですね。……あの少年が何の狙いもなく、真っ直ぐ生きているだけとは考えられませんけれど……」

 晴れない表情のまま駒を置くルカを、イヴァンは口元に苦笑を浮かべながら見つめる。
 かなり煮詰まっているのが見て取れる。こんな視野が狭くなったルカに負ける気がしなかった。

 案の定、一気に調子を崩してしまったルカは悪手ばかりで相手にならず、結果はイヴァンの圧勝だった。

 イヴァンは立ち上がってルカの後ろに回ると、ボロ負けの惨状を呆然と眺める彼の肩を叩いた。

「ルカ、一回外に出て気持ちを落ち着かせろ。ちょうど頼みたいこともあるしな」

「……はい分かりました。それで、頼みたいこととは何ですか」

 気だるげな動きでルカがこちらを見上げる。
 目を合わせてから、イヴァンは口端をニッと上げた。

「城下街にある菓子屋に行って、何か買って来い。美味いのは当然だが、できるだけ見栄えの良いヤツを頼む」

 一瞬ルカは目を点にした後、小首を傾げた。

「え? お菓子って……珍しいですね。王子がお食べになるのですか?」

「そんな訳ないだろう、俺は甘い物は苦手だ。この間エレーナと話をしていたら、つい先日十五の誕生日を迎えたと聞いてな。せっかくだから、花束の礼も兼ねて渡したいと思っているんだが――」

 段々と目を見開いて驚いた表情になっていくルカを、イヴァンは睨みつけた。

「――おい、何だその顔は?」

「いえ、その……今まで王妃様以外の女性へ、自分から贈り物をするなんてありませんでしたから、ちょっと意外で……」

 何度か目を瞬かせると、ルカは小さく微笑んだ。

「用心すべき相手ですが、お世話になっているのは確かですからね。分かりました、できるだけ可愛い物を見繕ってきます」

 ソファーから腰を上げ、扉へ歩き出したルカの背を見ながらイヴァンは思案する。

(これで少しはエレーナが、ここへ来て良かったと思ってくれればいいが……)

 まだ裏があるのかないのか真偽は掴めていないが、一つだけ確信していることはあった。

 エレーナはいつも穏やかに微笑んでいる。しかし、過去の話や家族の思い出を語る時、口元は微笑んでいるのに泣き出しそうな目をする。
 身内を亡くし、今まで当たり前に過ごしていた日々を失い、心の傷が癒えぬまま城へ来た――口に出さずとも、ふとした表情や物言いから読み取れた。

 あの憂いを帯びた表情をされると、痛々しくて見ていられない。

 誕生日の祝いも花束の礼も口実だ。本当の理由は、一日でも早く心の傷を癒して、翳りのない笑顔を取り戻してやりたいという自己満足だった。
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