白き薬師とエレーナの剣
翌日、イヴァンは朝食を終えた後、乳白色の小箱に入った贈り物を手にして温室へ向かった。
あまりに寒さが厳しいため、さらさらの粉雪ばかりが庭園を覆っている。風が吹けばすぐに散ってしまうため、さほど量は積もっていない。
歩く分には楽だが、一歩進む度に鋭い寒さが肌を切りつけてくる。毎年味わっている寒さだが、いつまで経っても慣れない。思わず歩みが早くなる。
一歩前に進む度に粉雪が靴と戯れ、再び地面へと戻っていく。重みのない雪はどれだけ踏んでも固まらず、一切の足あとを残さなかった。
温室まで辿り着くと、イヴァンは驚かせないように努めてゆっくりと扉を開ける。
屈み込んで薬草の世話をしていたエレーナがこちらを見ると、立ち上がって体を向き合わせた。
「おはようございます、イヴァン様」
赤子のように曇りのないエレーナの笑みを見ると、心が穏やかになっていく。
しかし同時に、エレーナを見極めるまで疑い続けなければいけないことを思い出して、イヴァンの胸に小さな痛みが走る。
こんなことを考えていると分かれば、彼女はどれだけ傷つくだろうか。
それを少しでも悟られぬよう、イヴァンは「おはよう」と微笑み返してエレーナに近づいた。
「いつも朝早くから大変だな。たまには他の者に代わってもらってはどうだ?」
「そんな……お世話になっている身なのに、これ以上甘えられません。それに、こうして薬草の手入れをしていると心が和みますから」
エレーナは小さく首を振った後、水汲み場へ足を向けた。
「今すぐ手を洗って花束の準備をしますから、少しお待ちになって下さい」
「いや、今日は別の用事で来たんだ。花束はまた今度頼む」
桶に汲んだ水で手を洗い始めていたエレーナが動きを止めてこちらを見る。
不思議そうな目をして小首を傾げる仕草が、雪原で佇む野兎の姿と重なって見えてくる。毒気をまったく感じさせないあどけなさに、思わずイヴァンの口元が綻ぶ。
「エレーナ、ちょっと手を出してくれ」
手を拭いてから、言われるままにエレーナは手の平を上に向けて差し出す。
ポン、と。すかさずイヴァンは華奢な手に持っていた小箱を置いた。
「大した物ではないか、俺からの誕生祝いだ。受け取ってくれ」
何度か目を瞬かせてから、エレーナの顔に困惑の色が浮かぶ。
申し訳なさそうに、彼女はおずおずとイヴァンを見上げる。
「あの、イヴァン様のお気持ちだけで充分――」
「お前に受け取ってもらわなかったら、ただ腐らせてしまうだけだ。気に入らなければ他の者に譲ればいい。だから、何も言わずに受け取ってくれ」
予想通りに出てきた言葉を遮り、イヴァンは腕を組んで返品は認めない意思を暗に伝える。
小箱を見たり、こちらを見たりとエレーナの視線が落ち着かない。今まで見たことのない顔に、イヴァンは小さく吹き出した。
「箱を開けて中を見てくれるか? 街の娘たちの間で流行っている物らしいぞ」
「は、はい、分かりました。ありがとうございます」
戸惑いながら、エレーナは慎重に小箱の蓋を開ける。
現れたのは、銀色の針金で編まれた小さなカゴと、その中にいくつも詰められた、爪ほどの大きさの丸い砂糖菓子。
量は少ないが、薄紅色や黄金色など一粒一粒違う色に染まっており見た目にも美しい。決して高くはないが、ルカが店をじっくり物色して選び抜いた一品だった。
「果実を煮詰めた物を飴で包んだ菓子だ。それぞれ味が違うらしいから、苦手な味もあるかもしれんが……」
食い入るように中を見つめていたエレーナの瞳が、徐々に輝き始める。
そして視線をこちらへ移すと、満面の笑みを浮かべた。
「ありがとうございます! こんな宝石みたいにきれいなお菓子、初めて見ました。大切に味わって頂きますね」
口先だけのお世辞ではなく、心から喜んでいる気配が全身から漂ってくる。
強引に渡せば受け取って喜んでくれるだろうとは考えていたが、ここまで感情を露わにしてくれるとは思わなかった。
あどけなさが残る、翳りのない笑顔。
胸の奥を掴まれたような感覚に、イヴァンは一瞬目を細める。
(……疑いが晴れていない相手に、これ以上深入りはできないな。だが――)
頭では分かっているのに、心が勝手に前へ前へと出ようとする。
もっとエレーナのことを知りたい。
こちらの言動にどう応じてくれるのか、見てみたい。
女性だけでなく、人に対してここまで興味を惹かれるのは初めてだった。