白き薬師とエレーナの剣
 不老不死を叶えるためだとしても、緊迫した状況でも相手を気遣える心を持っている。
 この事実に気づいた瞬間、いずみに意識が戻ってきた。

 コクリと頷き、一呼吸してから瞼を閉じる。
 完全な暗闇の中、さっきよりも大きくなった争いの音が耳の中を揺らしてくる。

 兵士と襲撃者たちの荒々しい息遣いと剣が交わる音が絶え間なく続き、時折、体を壁や床に打ち付ける音が混じる。
 ただ、最初よりも悲鳴は聞こえなくなり、代わりにヒュッと息を引く音や咳き込む音が耳へ入ってきた。

 音とともに薄っすらと流れてくる血の臭いが、今どんな凄惨な状態なのかを物語ってくる。
 思わず脳裏に浮かんだ光景に吐き気が込み上げ、気が遠くなりそうなほどに胸が締め付けられた。

 何重にも重なっていた音が、次第に薄くなっていく。
 そして……ドサッと、何か――おそらく人が倒れる音がしたと同時に、喧騒はピタリと止んだ。

「ご安心下さい、陛下。もう敵はいなくなりました」

 普段通りに淡々としたキリルの声に、ジェラルドが「うむ」と短く答える。
 ようやく終わったのだと分かった途端に、いずみの膝から力が抜けて崩れ落ちそうになり、足がよろめく。

 それを当然のようにに支えてくれたのはジェラルドだった。

「大丈夫か、エレーナ? もう今日は余の体を診なくとも良い。部屋に戻って休め」

 返事をしようといずみは喉を動かそうとしたが、声は出ず、唇をかすかに動かすことしかできなかった。

 そうこうしている内に「もう大丈夫だよ、エレーナ」というトトの声が聞こえ、手を繋いできた。

 華奢で皺だらけの手から伝わる温もりに安堵していると、いずみの眼から重みが消えた。

「お前たちはもう下がって良いぞ。そこの者、二人を部屋まで送り届けろ」

 ジェラルドの命を受けて、コツ、と誰かが隣に並び、「かしこまりました」と答える。
 その声は、いつも聴き馴染んだ水月の声だった。

 無事で良かったと抱きつきたい衝動を抑えていると、トトに「行こうか」と促された。

「私が良いと言うまで目を閉じているんだよ。陛下のご好意を無駄にしてはいけない」

 トトに念を押されて、いずみは小刻みに頷く。

 誰が命を落としてしまったのかは分からない。
 自分の知っている者たちが無事だと分かって、心から良かったと思う。でも……。

 手を引かれて歩き出した瞬間、涙が一筋溢れる。

 ここは人の命が簡単に消えてしまう場所。
 人の命を助ける立場なのに、助けることもできず、真実を見ることもできない自分がやるせなかった。
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