七夕の出逢い

彼の故郷(後編)Side 真白

 車に乗ると、
「もう一ヶ所だけお付き合いいただけますか?」
 と訊ねられる。
「はい……どちらに?」
「ハナサキさん」と仰る方のところであろうことはわかるのだけれども、その方が涼さんとどのような関係にあるのかはわからない。
「ハナサキ、とは植物の花に宮崎や島崎の崎という字を書きます。花崎さんは、私がお世話になった施設の園長先生をなさっている方で、かつて、大学の奨学金申請時には保証人にもなってくださいました。今でも時々連絡は取るのですが……」
 とても言いづらそうに先を続ける。
「実は、園を出てから今日まで一度もお会いしてません……」
「え……?」
「墓参りには来ていましたが、実家や祖父母の家があった場所に赴いたのは建物を壊して以来です。私は、恩義ある方にも挨拶にいかない不義理な人間です」
「……不義理な方は寄付など続けないと思います」
「……あなたは優しいですね。資金提供をすればいい、というものではないでしょう」
 けれど、そうすることしかできなかった涼さんの心はとても痛切なものだったはず。
「ですが、その不義理も今日で終わりです。私はこれからも寄付をやめるつもりはありません。それと、墓参りの帰りには園に寄ることにしようと思います」
 陶器のような肌をじっと見つめていたら、口もとが緩んだ。
「どうやら、そのくらいの余裕が私にできたようです。――真白さん、あなたと出逢ってから」
 まだ私は何もできていない。けれど、そんなふうに仰っていただけることが、とても嬉しかった。

 行く道すがら、小さなケーキ屋さんを見つけ、涼さんはそこに寄った。
「園の子どもたちは誕生日の日しかケーキが食べられないんです」
 それはきっと、金銭面での問題があるからだろう。
「今、園にどのくらいの子どもがいるものか……」
 顎に手を当て考えた涼さんは、ショーケースの半分ほどのケーキを買い込んだ。
 ケーキのほか、日持ちしそうな焼き菓子やマドレーヌなど、お店の人がびっくりするほどの分量を。
「すごい分量ですね」
「えぇ……。その時々によるのですが、園には少なくても二十人、多いときは三十人近くの子どもがいますから。それと職員を含めれば四十人ほどですかね」
 今日の私は驚いてばかりだ。
 郊外を離れた場所にある園につくと、園庭で遊んでいた子どもたちが一斉にこちらを向いた。
「……少し緊張させてしまったかもしれません」
「え……?」
「ここに大人が来るときは、新しい子どもが来るときか、養子を望む人が来るときですから……」
 そう思うと、なんともやるせない気持ちになる。
 けれど、園庭で遊ぶ子どもたちは皆笑顔で、とても賑やかな風景を作り出していた。それが心からの笑顔なのかは少し疑問が残るけど……。
 私は小さいころから大人たちにちやほやされて生きてきた。けれど、ちやほやされる私は人の目を気にし、悪い印象が残らないように、と笑顔を作る術を身につけてしまった。それが自分の本当の笑顔なのかわからなくなるくらい、精神的に追い詰められたこともある。
 そんなことを思い返せば、この子たちはどんな思いで笑顔を見せているのだろう、と胸がチクリと痛む。

 建物こそ古びてはいるものの、きちんと手入れの行き届いた環境。
 園の入り口にはレンガで周りを固めた花壇があり、ダリアが見事に咲き誇っている。園庭の遊具は少ないながらも、皆が皆、譲り合って遊んでいた。
 お姉さんやお兄さんは小さな子の面倒を見、小さな子たちは洋服のボタンを留めるのに必死になっている。
「必要最低限、自分のことは自分でできるように……というのがこの園の方針なんです。高校を出れば園を出なくてはなりません。ですので、中学に上がると、炊事洗濯は中高生が分担をして行います」
 初めて知る世界の話だった。
 私は何もかも恵まれた環境で育っていて、その環境に慣れないと贅沢な悩みを抱えていたのだ。施設の方針を知って、自分が恥ずかしく思えた。
「家庭環境や育つ環境は人それぞれです。あなたが気に病む必要はありませんよ。それに、ここの子たちは皆が皆、それほど悲観してはいませんから。もっとも、施設に入りたての子は慣れない場所であり、突然のことにストレスを多分に抱えていますが、そのフォローをするのも職員や中高生の役目です。ここは意外と環境のいい施設なんです」
 その言葉を聞いて少しほっとした。
 園庭で遊ぶ子に涼さんが声をかける。
「花崎園長はいらっしゃいますか?」
「園長ー?」
「はい」
「園長ならこの時間、裏の畑でしゅうかくしてるよー。おじさんだぁれ?」
「芹沢涼と申します。この園の卒業生です」
「そうなのー!?」
「はい」
「今は何をしてるの?」
「医者を職業としています」
「お医者様……? ……ここで育ってもお医者様になれるの?」
「えぇ。たくさんご飯を食べて、たくさん勉強をすればなれますよ」
 腰をかがめ、目線を合わせて涼さんが話すと、男の子の表情はパァ~と明るいものになった。
 涼さんと私はその男の子にお礼を言って、建物の裏手にある畑へと向かった。
 畑、というだけに、さすがにヒールの靴では歩きづらい。すると、
「少しこちらでお待ちください。呼んできますから」
 私はその申し出をありがたく受け止めた。
 涼さんは足早に畑の中を歩いていく。と、数十メートル先に人が四人ほど農作業をしていた。
 涼さんに気づくと、皆が皆驚きの声をあげる。
 涼さんは深々と頭を下げ、私の方を指し示した。すると、こちらに向かって会釈をされ、四人のうちのひとりが涼さんと連れ立って戻ってきた。
「いやいやいやいや、暑い中ご足労いただきありがとうございます」
「いえ、突然お邪魔してしまい申し訳ございません」
「外ではなんですから、園長室にまいりましょう。何もないところですが、お茶くらいならお出しできます」
「それでしたら、お茶請けはこちらでご用意させていただきました。今、何人の子どもが園にいるのでしょう?」
 涼さんが尋ねると、
「今は総勢二十八人。職員を合わせれば三十五人といったところかな」
「よかった。ケーキを買ってきたのですが、念のために四十個用意して正解でしたね」
「気を遣わせて申し訳ないね」
「いえ……。それよりも、こちらを出てから一度も顔を出さなかったことのほうが申し訳ない……」
 花崎さんは麦茶をテーブル上に差し出すと、
「それだけの時間が必要だったということでしょう。何しろ、婚約者を伴って来てくれたのだから、これ以上に嬉しいことはない」
 まだ私が婚約者であることは話していない。きっと、お寺のご住職が話したのだろう。
「ご挨拶が遅れました。私、藤宮真白と申します。先週、涼さんと結納を済ませました。どうぞ、これからは私もご一緒にお邪魔させてください」
「喜んで」
 花崎さんはとても温和な方だった。
 涼さんが両親と暮らした家と、祖父母と暮らした家の界隈を歩いてきたことを話すと、それはそれは驚いた顔をなさった。
「一歩前へ進めたようだね」
「はい……。もっと早くに来れれば良かったのですが……」
「時間は問題ない。こうやって来てくれたことが何よりも嬉しい」
 本当に、涼さんが来たことを心から喜んでいるふうだった。
「そこで……図々しいお願いを聞いて頂きたいのですが……」
 涼さんが幾分か言いづらそうに申し出ると、
「なんでしょう? 私にできることがあればなんでも言ってみなさい」
「……私たちの結婚式に身内として出席してはいただけないでしょうか」
 ひどく緊張した面持ちで切り出した。
「それは……」
「私には身寄りがありません。ですが、藤宮の令嬢と結婚するにあたり、式は盛大なものになるでしょう。そんな場に呼べる人が花崎園長しか思いつかないのです」
「……私なんかでいいのかい?」
「むしろ、あなた以外が思いつきません。それと、住職にも来て頂きたく思っています。ですが、何分、住職ですからね……」
 と苦笑する。
「華やかな席に相応しくないと断られそうでしたので、先に花崎園長にお話させていただきました」
「わかりました。古藤ことうには私から話しましょう。――不躾な質問なのですが……藤宮というと、あの藤宮ですか?」
「えぇ、ご想像の通りです。藤宮グループ、現会長のご息女です」
「そうでしたか……。いやはや、実は元さんとは面識がありましてね」
「え……?」
 思わず口を挟んでしまった。
「父とお知り合いなのですか?」
「二ヶ月ほど前のことです。涼くんのことを尋ねにいらっしゃいました」
 父のことだから、涼さんのことはくまなく調べたのだろうとは思っていた。でも、まさか自ら足を運ぶとは思ってもみなくて……。
「とてもすてきなお父様でいらっしゃいますね」
 にこりと笑われて、少し戸惑ってしまう。そんな私の代わりに涼さんが、
「私などではとても太刀打ちできない方です。まだ知り合ったばかりですが、これ以上にないご恩を感じております」
「では、結婚式の招待状が届くのを楽しみに待っています。……それと、寄付金のことなのですが――」
 花崎さんの言葉の途中で涼さんは制止した。
「すみません。これは私の気持ちと思って受け取ってください。私は今後も寄付をやめるつもりはありません」
「ですが、家庭をもつのであれば、何かと物入りになるでしょう」
「それなのですが、どうやら私は婿養子に入ることが決まっておりまして、住む場所も何もかも、まったくお金がかからないのです」
 涼さんは肩を竦めて苦笑した。
 花崎さんもきょとんとしたまま固まった。
「ですから、今までと変わらず、好意として受け取ってください。それと、毎年墓参りの季節にはこちらにも立ち寄らせて頂きます」
 言うと、花崎さんはにこりと笑った。
「では、ありがたく頂戴いたします」

 帰りの車の中で涼さんはため息をつかれた。
「……お疲れですか?」
「いえ……少し緊張していたものですから」
 私が気づけたのは最後の結婚式のお話をされたときくらいだけれども、今日立ち寄ったすべての場所に緊張しながら赴いたのかもしれない。
「手を……」
「え?」
「手を取らせていただいてもよろしいですか?」
 不意に聞かれ、右手を差し出す。
「相変わらず冷たい手ですね……」
 言いながら、両手で優しく包み込まれた。
「でも、とても心地がいい」
 涼さんの大きな手に挟まれた右手と、もう片方の左手で涼さんの手を包み込む。
「私の手を必要としてくださいますか?」
 涼さんは目を瞠るようにして私を見た。
「……必要です。私が生きていくために……前に進むために必要な手です。必要な存在です」
「……嬉しいです」
「真白さんは――」
「……必要というよりは……ずっとお側にいたい方です。十年先も二十年先も……年老いてしわくちゃになっても……」
「えぇ……共に年を重ねましょう。この命が果てるまで。……ですが、私より先には逝かないでくださいね」
 それだけはお願いします、と真剣な目でお願いをされた。
「でも、残されるのはつらいです……」
 少し文句を言うと、
「では、ふたりで長生きをしましょう」
 柔らかに笑う涼さんを見たらほわりと胸があたたかくなった。
 涼さんの目をじっと見つめると、
「口付けてもよろしいでしょうか」
 訊かれて、私は目を閉じた。
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