桜の咲く頃に
 不思議な気持ちで携帯を畳むと、阿梨沙はエレベーターで降りていった。
 管理人室をそっと覗く。
「あの~、またちょっとお聞きしたいことがあるんですけど……」
「あ、神園さんの妹さん、今日はどういった事で?」
「昨日あたしの部屋の前の住人の古宮さんについてお聞きしましたけど……」
 そう言いながら、おやじの舐めるような視線に耐え切れず、思わず身を引く。
「あれ、昨日だったかなあ? 確かおとといだったと思うけど」
 そ、そんな……また記憶が飛んでる。
 阿梨沙は動揺を隠そうと努める。
「……古宮さんって失踪前は学生だったんですか?」
「そう、そう、聖霊大学の学生さん。でも、親御さんが今年度の授業料払ったかどうか……未納で除籍になってるかもしれないねえ」
 そう言って遠くを見る目をした。

 マンションの前まで来ると、加恋は自分の部屋を見上げた。
 気にしないようにしても、薄汚れた外壁に目が行ってしまう。
 せっかく引っ越すんだったら、もう少し新しいマンションにすればよかったのに……。
 父親の安月給に見合った家賃じゃこんなところにしか住めないことがわかっていても、ついそんなことを考えてしまう。
 それがいやで、薄暗い共用階段を一気に駆け上がる。
「ちょっと待ってよ」
 千佳の声が響く。
「ただいまー」
「お邪魔しまーす」
 玄関で挨拶しても、返事がない。
「あれ、お母さんどうしたのかしら? いつもこの時間ならもううちに帰ってるのに」
 不信に思いつつも台所を横切って自室へ向かう加恋を、千佳が引き止める。
「加恋、ちょっと見てごらんよ。そこのテーブルの上にメモがあるよ」
 加恋は手に取った手紙を読み始める。
「『お父さんが怪我をして病院に運ばれたそうだからとりあえず行ってきます』だって。病院の名前と電話番号も書いてあるよ」
 他人事のような口振りだ。
「加恋も病院へ行かなくてもいいの?」
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