鈴姫


そう言った途端、どこからか風が吹き始めた。


やわらかな風は、秋蛍を笙鈴から引き離すかのように秋蛍を後方へと押しやる。


地面が存在しないせいで、ゆるやかな風に抵抗することができないまま、ゆっくりと笙鈴から離れていってしまう。

笙鈴は彼を見送りながら、そっとその唇を開いた。


「……彼女が呼んでいますよ」


「笙鈴……」


笙鈴が指先で示した方角に、懐かしい気配を感じる。


この先には、きっと彼女がいる。


まだ不安定なこの流れは彼女のものだ。

知らず知らずのうちに絶えず彼を呼び続けていることに気づかないで、きっと力を消耗している。



―――やはり、まだまだ。



引き寄せられるままに身を任せる秋蛍の顔には、やわらかな笑みが浮かんでいた。


やがて淡い世界から、秋蛍の体が泡のようにふわりと消える。


笙鈴は二つの玉を手に、そっと言葉を紡いだ。



「さようなら、初恋の人。 どうか幸せに……」



こぼれた言葉は風に乗り、はかなく消えた。


それでも彼女は幸せそうな表情を湛え、ふわりとふわりと淡い世界に姿を溶かしていった。





残された風はゆるやかに進む。




彼女の願いを運ぶために。













【end】





< 276 / 277 >

この作品をシェア

pagetop