あの場面はどこに
 倒れそうになった自分の身体を支えようと踏ん張った。

 まさゆきにギャフンといわせてやりたい。水を引っかけて、恥をかかせてやりたいのよ、私は!

 左方向へ倒れそうになり、もう一方の足で支えようともう一度踏ん張ってみたが、支えきれず私はコップを持ったまま倒れた。

「痛いっ」

「冷たっ!」

 店内が一斉にざわついた。膝を打ったようで、ジンジンしている。

「大丈夫ですか?」

 顔を上げると、レストランに来たときに笑顔で迎えてくれた店員がいた。店内にいるすべての人が私を見ている。その中に、呆然とこちらを見ているまさゆきがいた。

 まさゆきは、濡れていない。え?水は?

 誰か冷たいって言ってなかった?

「お客様、タオルをどうぞ」

 店員が声をかけているのは、私……ではない。

 店員が差し出したタオルの先にいたのは、スーツを着た五十代の男性だった。

 「君、失礼じゃないか!」

 私を見ている男性の顔は、どう見ても怒っている。

 私はその時、男性の頭を見た。失礼じゃないかと怒鳴ったのも当然だ。

 「あの、その、うすらハゲってあなたのことじゃありません!」

 「なんだって!?」

 男性の顔と薄くハゲた頭が一気に赤くなった。

 「水をかけたことに怒っているんだよ!」

 店内に男性の怒号が響いた。

 


 
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