ワケあり!
「体育…サボったんだ」

 ぽつり。

 渡部がいなくなって、将がそう呟く。

 む、蒸し返さないで。

 渡部に対応して、すりへった精神力の時に、今度はそっちから話がくると、絹も頭が痛くなりそうだった。

 マイクの向こうも、同じように言っている気がする。

 これで絹が、万年筆のスイッチを切る時間に、よからぬことを画策していると、ボスにバレてしまった。

「渡部さんの親戚って人がいて…そっちなら、もう少し穏やかに話が聞けると思って」

 あくまでも、目的は桜の話だったのだと――将に思わせたかった。

 正確には、森村を対渡部用ストッパーにしたかったのだが。

 フタを開けてみれば、とんでもない男だった。

 あの様子だと、渡部の人生のストッパーにはなりそうだが、絹の高校生活の助けにはならないようだ。

 多分、彼は最大の好機が来るまで、渡部に従順なフリを続けるだろうから。

「そんなこと…一人でしちゃ駄目だよ」

 少し、将が傷ついたように見えるのは、気のせいか。

 時折現われる、あの翳りが顔を出していた。

「母さんのことで、絹さんが傷つくかもしれないって…それは、変だろ?」

 完全に止まった足を動かして、将が彼女の腕を取る。

 少し、強い力。

 引っ張られるように、絹は歩き出した。

「大丈夫よ…私、意外に頑丈だから」

 言って、あっと思った。

 さっきの、渡部の言葉だ。

 ぐっと。

 腕を掴む手に、力がこめられた。

 将は、歩き続ける。

 その、影を帯びた横顔。

「母さんも、そう言って死んだよ」

 抑揚のない、直線の声。

 母のことを、そんな風に突き放して言うなんて。

「…ごめんなさい」

 反論できなくなった。

 絹を失いたくない――そんな、将の声が聞こえてしまったせいだ。
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