ワケあり!
「あの女は、私のチョウを奪ったんだ。なぜ、そんな憎い女の話をしなければならない」

 プンプン。

 ボスは、子供のように怒りだす。

「もう、思い出したくもない」

 しかし、言葉は矛盾に満ちていた。

 絹は、黙って自分の顔を指す。

 これがある限り、ボスは毎日思い出すのではないか。

「はっ!」

 その指先の顔を見て、ボスは馬鹿馬鹿しいという顔をした。

「顔が似ているからと言って、同じものか?」

 おまえが、私からチョウを奪ったのか?

 実に、ボスは論理的だ。

 分かりやすく、意外にも単純だった。

 ああ、そうだ、これなのだ。

 ボスは、ゲイのマッドサイエンティストだが、絹をちゃんと認識してくれている。

 手駒でも、駒として磨いてくれるのだ。

 いつか、この馬鹿らしい茶番に飽きるまで。

 絹にとっては、その事実はとても大きいものだった。

 彼には、朝と息子たち以外の顔など、単なる見分ける記号にすぎない。

 どんな絶世の美女が現れようとも、それだけは揺らがない。

 だからこそ、絹は何でもやるのだ。

「情報だけなら、僕が出せますよ」

 島村が、赤飯にかぶりつきながら、助け舟を出す。

「チョウ関連のファイルは、極秘ファイルの中だ」

 お前にも探せないと、ボスは言い放つ。

「先生…それは広井朝と息子らのファイルだけですよ。望月桜のは、そこらの雑多ファイルと一緒に入ってます」

 うぐっ。

 助手の、なめらかかつ平坦な声の突っ込みに、ボスは赤飯を喉に詰まらせた。

 望月 桜。

 それが、あの兄弟の母親の名前か。

「その名前を出すなー! 忌々しい!!!」

 食べかけの赤飯を、助手に投げつける。

 べしゃっと、顔のあたりにおにぎりの塊が張り付き――床に落ちた。

「まったく、不愉快だ!」

 ヒステリーを起こして、ボスは居間を出て行ってしまう。

 絹は、少し呆然としたまま、それを見送る。

 島村は。

 髪の毛に赤い米粒をつけたまま、てきぱきと片づけを始めたのだった。
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