Raindrop
いつもだったら、最初に歌うことから始めたのかもしれない。

元々歌曲であるM.ポンセ作曲の『エストレリータ《小さな星》』には歌詞がついていた。

音域が広すぎて、歌うにはかなり難しいのだけれど。

受験と表現力向上のために選ばれた曲だ。『ヴォカリーズ』の指導と同じことをするだろうと思っていたのに。

水琴さんはどこか空ろだった。

どんなときも、何があっても凛と背筋を伸ばしていた彼女が、レッスン指導に身が入っていない。……そんな水琴さんは初めてだった。


僕のことで悩ませてしまったのだろうか。

それは嬉しいことのはずだった。

子どもの僕を視界に入れてもらえた。それだけで嬉しいことのはずだった。

……水琴さんの婚約の話を聞くまでは。


『好きになっちゃ、駄目』


その言葉を噛み締めて、弓を握り締める。


「……ご結婚されるんですね」


静かにそう言うと、はっと水琴さんが顔を上げた。

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