クランベールに行ってきます
結衣は慌てて青年に声をかけた。
「貴賓室はそっちじゃないよ」
青年は歩を休めることなく、少し振り返り平然と言う。
「存じております。侯爵は裏の馬車でお待ちです」
結衣は立ち止まって表情を硬くした。
「騙したの?」
青年も立ち止まり、振り返ると薄い笑みを浮かべる。
「ああでも言わないと、あの方は納得しなかったでしょう?」
ローザンは納得などしていなかった。結衣本人に対してなら、断固反対しただろう。だが、”王子”に対して、あれ以上強硬な態度を取れなかっただけなのだ。
騙されたのは、ローザンではなく自分だ。自分の甘さに腹が立って、結衣は踵を返した。
「帰る。平気で騙すような人の話は聞けない」
青年は慌てて追いすがると、結衣の腕を掴んだ。
「お待ちください!」
無理矢理引き止められ、結衣はムッとして青年を睨んだ。青年の方は、掴んだ結衣の腕を見つめて、驚いたような表情をしている。おそらく、男の腕とは思えないあまりの細さに驚いたのだろう。
しまった、と思ったが、平静を装いつつ、あくまで威厳を持って、静かに言い放つ。
「手を離せ。ボクを誰だと思っている」
こんな時、王子の権威は絶大だ。
青年はハッとして、結衣の腕を離すと、その場にひざをついた。拝むように両手を組んで結衣を見上げる。
「ご無礼をお許しください。ウソをついた事はお詫び申し上げます。ですが、お願いです。私と共においでください。殿下と侯爵が接触した事を知られた上に、お話しすら叶わなかったとなると、私がお咎めを受けてしまいます」
泣きそうな顔で見上げる青年に、結衣は嘆息する。お咎め怖さに手段を選んでいられなかったという事か。
「……今度騙したら、許さないからね」
結衣がそう言うと、青年はパッと表情を明るくして、床につくほど頭を下げて礼を述べ、先に立って歩き始めた。
しばらく通路を進んで、王宮裏の馬車置き場に出た。