週末の薬指
そうする事が自然な事のように、両手を瀬尾さんの背中に回した。
慣れないながらも、私からもキスを返して、背中を撫でて。
それに気付いた瀬尾さんは、嬉しそうな声で笑った。

「昔の恋人なんて、俺が忘れさせてやる。だから、俺の恋人になれ、花緒」

唇から注ぎ込まれるその声に、思わず頷きそうになる。
私を抱きしめてくれる人肌がこんなに優しいって久しぶりに感じて、私を愛しげに呼び捨てにしてくれる低い声にときめいて。

それだけで瀬尾さんの懐に飛び込みたくなるけれど、一度傷ついている心は、なかなか動いてくれない。
簡単に瀬尾さんに気持ちも身体も預ける事はできない。

きっと一生無理なんだ。
たとえ瀬尾さんじゃなくても、誰でも。

『父親が誰だかわからない女を、我が家に迎える事なんてできません』

そう言われ、切り捨てられた過去は、ずっと私の心を縛り続けるんだ。
変える事の出来ない現実は、私が一人で生きていかなければならない根拠となって、重くのしかかっている。

「花緒、いいな、俺の恋人になれ」

荒い息を吐きながら、まるで脅すような声。瀬尾さんの本当の姿はこんなに強気な男なんだ……。
今更ながら、格好いいし、惚れてしまいそうだ。

それでも、首を縦に振るわけにはいかなくて、同じように荒い息を吐きながら曖昧に笑った。

「ごめんなさい」

それだけが、せいいっぱいの言葉。

「無理」

私の言葉を受け入れないまま、顔をしかめた瀬尾さんは、私を強く抱きしめた。
首筋に感じる吐息が熱くて、そこだけが敏感になっている。
唇が私の鎖骨のあたりを這い、どうしようもなく切なくなる。
一体、どうしてこんな事になったのか、冷静になれば不思議に思うことすら、瀬尾さんから与えられる熱によってどうでもよくなる。

「いたいっ」

私の首筋を吸い上げる瀬尾さんから与えられた痛みに顔をしかめた。
きっと真っ赤な花が咲いているはずだ。

「隠せないから。諦めて俺の女になれ、花緒」

何度も感じる痛みに、泣きそうになりながらも、こんなに求められる喜びを感じる。
できるなら、瀬尾さんの言葉を信じて、全てを託したいって思う。
きっと、ずっとときめいていた。
初めて会った時から好きだった。
本当の姿を知って、もっと気持ちは惹きつけられたかもしれない。

でも、また傷つくのは怖い。

私にはどうする事できもない事を理由に切り捨てられる痛みは、もう味わいたくないから。

「ごめんなさい」

ただ、そう呟くしかできなかった。
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