エスメラルダ
 エスメラルダは神殿の中で雪嵐を見詰めていた。大きくくられた窓の外は白の乱舞。
 マーデュリシィ様の予言どおりね。
 エスメラルダは思う。
 エスメラルダは雪嵐が嫌いだ。
 雪嵐の日に大切な人間を三人も喪えばそれも致し方ない事であろう。
 エスメラルダの気力は萎えそうになる。
 だけれども、引き下がる事は出来ぬ相談であった。エスメラルダの愛と誇りにかけて。
 フランヴェルジュ様。
 きっと、わたくしは持ち帰ります。
 ひびも無く曇りもない水晶を。
 エスメラルダの事前知識では『審判』を受けた者の言葉に偽りあれば『審判』に使われた水晶は砕け散るという。
 だけれども、わたくしに何もやましい事など、ない。
 エスメラルダはごくりと息を飲み込んだ。
 神殿の最奥部。
 儀式に使われる『水晶の間』の控え室で出されたお茶を飲みながら、エスメラルダはこれから何が始まるのだろうと思う。
 だけれども。
 どんなひどい事があろうとも来年の今頃はわたくしとフランヴェルジュ様は一緒なのだ。
 そう考えたなら何を恐れる事があろうか。
 目の前にはバジリルが座っていた。
 彼はエスメラルダがお茶を飲み終わったのを確認すると、ぱんぱんと手を打ち鳴らした。
「エスメラルダ様、老骨は外に出ております故にご心配なさらず」
「バジリル様?」
 控えの間といってもエスメラルダの寝室くらいある部屋で老人は闇に溶けてしまった。
 何だと言うのだろう?
 エスメラルダは背筋がぞくりとするのを感じた。
 何だか嫌な予感がする。
 こんこんとノックの音がしたのでエスメラルダは「どうぞ」と言った。その声が震えださなかった事を神に感謝しながら、エスメラルダは扉を見やった。
 やってきたのは、巫女が三人であった。
「湯浴みをしていただきます。他の控え室にお湯を用意してございますれば、どうかそれを御使い下さい」
「有難う。案内して下さい」
 エスメラルダは自分でも驚くほどしっかりと答えた。
 湯浴みなら朝一番にしてきた。
 だけれども、あれから時間も経っている事だし此処は神殿、此処の流儀にあわせたが良いとエスメラルダは判断する。
「此方にございます。どうぞ」
 そう言ってエスメラルダの手を取った巫女の手は冷たかった。
 何!? まるで雪でもかいたかのような……。
 エスメラルダは気付いていなかった。
 先程バジリルが飲ませた薬草茶の所為で自分の身体が炎のように火照っている事を。
 それでも熱さを感じないのはエスメラルダの緊張の証である。
 冷たい手に自分の手を重ね、エスメラルダは進んだ。
 隣の控え室には湯気が立ち込めていた。
「霊山ホトトルから運ばせた温泉水を温めたものです」
 微かにつんとした臭気があった。薬湯のような。
 そこに花が沢山浮いている。琥珀の湯の中に艶やかな白い花。
「この花は?」
「美しゅうございましょう? ホトトルの高山植物ですわ」
 そう言いながら巫女達はエスメラルダを取り囲んだ。
「御召し物を失礼致します」
「自分で脱げます」
 エスメラルダはきっぱりと言った。だが、巫女達は譲らない。
「これが我々の仕事です。果たせずば大祭司様のお怒りを買う事になるでしょう。どうか」
 エスメラルダは不承不承頷いた。
 しかしあのマーデュリシィが怒るなど想像もつかない。
 エスメラルダの頭には慈悲と愛の塊に見えたマーデュリシィだったが、半面、苛烈な性格も持ち合わせている事は、エスメラルダの知らない事である。
 服を全て脱がされるとエスメラルダは酷く無力な気分になった。裸体を同性とはいえまるで見知らぬ人間の前に晒しているのである。
 促されるままに湯に入り、身体をタオルで擦られた。
 エスメラルダの額に玉の汗が浮く。
 だが、浴槽から出ることは許されていない。
 試練は始まったばかりであった。
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