エスメラルダ
 そう思っても何処か納得の行かないところがあるのだ。
 あんなに誰かを愛して、そう、魂削るように誰かを愛して、他の男を愛する心なんて残っている筈ないわ。
「レイリエ叔母は、何故ハイダーシュに嫁いだのであろう?」
 エスメラルダが疑問に思っていた事を、フランヴェルジュはあっさりと母親に尋ねた。男性特有のデリカシーの無さが今のエスメラルダには羨ましかった。
「それは、簡単な事だわ。レイリエは誰にも頭を下げたくなかったのよ」
 アユリカナはあっさり言う。
「……それは、どういう事ですか? 母上」
 今まで一言も発さなかったブランシールが死人のように青褪めた顔をして尋ねた。
「貴方、具合が悪いのではなくて?」
 アユリカナが心配そうに声をかける。
 ブランシールはいやいやをするように頭を振った。
「僕は大丈夫ですから」
「レーシアーナ、夫の体調管理も妻の役目よ。ブランシール、これ以上何かを言う事は許しません。フランヴェルジュ、貴方はブランシールを寝室に連れて行って念の為御典医に見せるよう手配なさい。今日の話はたかだか結婚式の噂話です。政治的な談合ではありません。それでも退出した後の話の内容が気になるというのなら、自分のパートナーに聞きなさい」
 ぽんぽんと、アユリカナは言った。
「母上、ファトナムールの国情などエスメラルダに伝えておいて下さい。ブランシール、行くぞ。肩を貸そうか? 抱いていってやろうか?」
「ひっひ、一人で歩けます!!」
 ブランシールの声が裏返った。
 その声を聞いてフランヴェルジュは弟の容態は思ったより悪いのではと心配になった。
 息子達は母親には絶対忠誠である。
 話が聞けない不満をとりあえずおいておいて、アユリカナの指示を守る為、退室した。
 そして、表の門が閉まる音を聞くなり、アユリカナは盛大に溜息をついた。
「どうかなさったのですか? お義母上様」
「アユリカナ様?」
 少女達の案じる言葉の前に、アユリカナは力なく笑ってみせる。
「平気です。あの子達がいなくなってほっとしただけ。あの子達ったらわたくしがからくり仕掛けの人形でないのを時々忘れるのよ。笑顔が崩れると駄目。言葉に詰まると駄目。駄目駄目だらけ。わたくしは完璧ではないのにあの子達はわたくしに完璧を求めるから疲れてしまうの」
 エスメラルダとレーシアーナ、二人がアユリカナの弱った顔を見るのはこれが初めてだった。
「さて、男達がいないと遠回しの言葉を使う必要はないわね。気楽で良いわ」
 子供達が聞いたらぐれそうな事をあっさりとアユリカナは口にする。
「レーシアーナもレイリエの事については色々と知っているでしょう? 相変わらず雀蜂たちは唸っているのかしら?」
 アユリカナの言う雀蜂とは社交界のやんごとなき淑女たちをさすのだと知っているレーシアーナはこくり、頷いた。
「婚姻がすみましたし、もう少ししたら落ち着くのではないでしょうか」
 エスメラルダの言葉にアユリカナは首を傾げた。
「どうかしらね。レイリエはまだ何かを企んでいるわ。ハイダーシュにはそこら辺は解らないのでしょうね。政の才は持っていても、女心まではわからない様子。ええ、それも相手がレイリエなら仕方のない事といえるかもしれませんが。わたくしも一瞬、レイリエはハイダーシュを愛しているのではないかと思いましたもの」
「愛の無い結婚なんて、虚しいだけなのに」
 レーシアーナの言葉にアユリカナは笑った。
「レイリエの心は墓場よ。肉体は何か問題があって墓の下に入っていないみたいだけれども、その何かが無くなれば墓穴に飛び込むでしょうよ」
 その通りだとエスメラルダは思った。
 そして、恐らくレイリエをこの世に引き止めているのは自分だとも思う。復讐の二文字。
「ハイダーシュはレイリエにすっかり心奪われた様子だったわ。片時も側から放さないの。まるで肉をくわえた犬のように。レイリエの魔性のとりこになってしまったのね」
 その時、またエスメラルダは嫌な予感がした。片時も放さないのならハイダーシュはメルローアにレイリエを伴ってくるかもしれない。そしてその時、エスメラルダが王妃となっていたなら相応の敬意を持って対応しなくてはならないのだ。
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