エスメラルダ

 ぱしぃぃぃいん!!

 亀裂が入るような音。
 一瞬、だけど確かに耳を打った、聞いた事の無い名状し難い音。
 何事かとアユリカナ以外の全員が音のした方を見ようとした。
 だが、何処であの音は鳴ったのだろう?
 右からも左からも上からも下からも聞こえた気がする。
「……フォビアナ、外に出なさい」
 アユリカナが押し殺した声で命じた。
 フォビアナは黙って一礼すると扉へ向かう。
 フォビアナは馬鹿ではない。騒ぎ立てる事も、何か余計な事を喋る事もない筈だ。だからこその王室付きデザイナーなのだから。
 ぱたむという扉の音が、まるで外界との遮断音だった。
 アユリカナはそこから更に心の中でかっきり百秒数える。
「な、んですの?」
 不安げに口にするレーシアーナの隣に、アユリカナとエスメラルダは何も言わず寄り添った。アユリカナは、半身を起しているレーシアーナの肩に右手を置いて、左手であたまを抱き、髪に口づけながらいう。
「怖かったですね。大事な姉妹の衣装合わせに立ち会っただけなのに、怖い思いをしましたね。でも大丈夫です」
 レーシアーナを慰めるアユリカナの横で立ち尽くしたエスメラルダは影を見詰めた。
 此処で呼んでもいいだろうか?
 レーシアーナとアユリカナにカスラの事を隠してはいないのだし。
 ただ目の前で呼んだ事は無かったし、カスラ達が仕える主人意外の前に現れる事を決して快く思わないのは知っていたけれども。
「エスメラルダ、カスラを呼ぶのはお止めなさい」
 心のうちを見透かしたようにアユリカナが言った。
「な、何故です!?」
 狼狽したエスメラルダに、アユリカナは首を振る。そしてレーシアーナを抱いていた腕を解いた。
「女達に代々継がれていたメルローア王家の機構の一部を、今日、貴女達に伝えます。本当は婚姻一年後にちゃんと神殿で儀式を行ってから大祭司から伝承を行うものなのだけれども。だからわたくしが今教えるのはごく一部だという事を理解して頂戴ね」
 少女達は唾を飲み込んだ。
 それは凄まじい大事ではないか!!
「バジリル、出てきなさい」
 ふわり、と、現れたのは少年。
 柔らかい栗色の髪。前髪が少し長く目に入りそうだ。さらさらとした感じで、触ると柔らかい事を連想させられる。
 瞳の色は新緑。鮮やかだがエスメラルダの瞳とはまた趣が違う。
「バジリル・スナルプ?」
 エスメラルダはそっと口に出した。
 いつか、マーデュリシィの元まで案内してくれた七、八十はありそうな好々爺。喋るだけ喋って消えた老人。
 だけれども目の前にいるのは十二かそこらにしか見えない少年。
「エスメラルダ様はやはりすごいですね。私が姿を変えて、惑わされなかったのは貴女様が二人目です」
「え?」
 レーシアーナは目を見開いた。
 レーシアーナの知識のバジリルとこの少年とは、彼女の頭の中では結びつかないのだ。
「カスラの一族の中にも、骨格や姿を変えて活動するものがいるのよ、レーシアーナ。多分それと同じようなものだと……」
「その通り。私達はメルローア国祖の諜報部員の血族です。私達はメルローアの繁栄を祈っていた。だから国が成り立ち、軌道に乗った時に、更なる栄華を求めて血族の娘を巫女として差し出し、男達は諜報活動を続けました。そしてもう一つ。ずっとずっと、口伝にてメルローアの真実の歴史を伝えてきました。歴史書に載らない暗黒面も全て。我らの血族が果てても、その口伝が残るよう子を成す女性に口伝を伝え、王の血脈が正しく歴史から教訓を得、あやまつことなくこの国を守っていけるように」
「彼らは表舞台には出ないわ。例外は大祭司という存在だけれども、彼女らだとてこの血族の出である事は公表されない。でもそんな事よりバジリル、警報を鳴らしたわね? 何があったの? フォビアナがいる前で警報を鳴らさなくちゃならないだなんて余程の事の筈。大事なこととはいえ血族の血の講義をしている場合ではないのではなくて?」
 アユリカナの言葉にバジリルは頷いた。
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