エスメラルダ
「神殿騎士!! 国王と花嫁の無事を確認せよ!! 御典医!! 王弟に鎮静剤を!!」
 声を張り上げたのは、アユリカナだった。
 そのまま、彼女は背筋を伸ばし、ドレスの裾を蹴捌くようにしながらレーシアーナの許に向かう。
 その声に、びくん! とフランヴェルジュの身体が跳ねる。
 国王である自分を忘れていた。
 ただ、義妹に起こったことと、そして、その事柄がもしかしたならば自分の最愛の女性に起こったかもしれないという事に、我を忘れていた。
 アユリカナの命令は、本来であるのならば国王たる彼が下さなくてはならないものだった。
 神殿騎士達が、慌ててフランヴェルジュとエスメラルダに駆け寄る。
 王室御典医が、ブランシールの元へと急ぐ。
「あ……」
 マーデュリシィが、息を呑んだ。
 火の爆ぜる音がしない事に、何故、今の今まで気付かなかったのであろう?
 聖火から火を分けた篝火が、七つ、全て消えていた。
 その不吉さがマーデュリシィから思考を奪う。
 主よ、主。お答え下さい。これは何の呪いでしょうか?
 立ち尽くすマーデュリシィをよそに、周囲はどんどんと動く。
 神殿騎士達が、八人がかりでシャンデリアを持ち上げた。
 その下から出てきた肉体は、シャンデリアの重みに潰され、息絶えていた。
 悲鳴一つ上げなかったレーシアーナ。
 だが、その惨状は殆どが目に付かない。レーシアーナが死に装束として選んだ真紅のタフタは、その流れ出る血液すら、殆ど目立たせる事はなかった。
 エスメラルダがフランヴェルジュの腕の中で気を失う。
 御典医が、ブランシールの腕に注射器をつきたてた。それは強烈な麻酔だったのだろう。どさり、という音と共に、ブランシールの身体が倒れこむ。それを御典医が受け止めた。
「大祭司!」
 レーシアーナの枕辺に跪き、その頬を撫で、アユリカナは呼んだ。
 レーシアーナの身体は神殿騎士の一人がうつ伏せだったのを仰向けにしたのだった。
「王弟妃の為に、……祈りを」
 その瞳は涙で濡れている。
 アユリカナにとって、レーシアーナは大事な大事な嫁だった。娘だった。
 だが、もう……。
 マーデュリシィは祭壇から走るようにレーシアーナの許に向かった。
 魂がもう黄泉路を辿っている事は、巫力を持つマーデュリシィにははっきりと解る。その魂の平安を祈るのは、彼女の役目だった。
 血溜まりの中、マーデュリシィが跪き、祈りの言葉を紡ぐ。
「可愛い子。お休みなさい」
 そっと、アユリカナは大事な娘に囁いた。
 アユリカナのドレスは、血に塗れている。レーシアーナの血は、枯れる事を知らないホトトルの泉のように溢れて、止まらない。
 舞台の上の王族たちや、貴賓席に座る各国の貴賓達が言葉を思い出したように囁きを交わし始めた。
 誰も予想のしていなかった惨事に、祈りよりも混乱が唇から漏れる。
 アユリカナは顔を上げた。
「王よ。式の中止を告げられよ」
 発せられたその言葉に、フランヴェルジュは漸く頷いた。
 腕の中のエスメラルダを神殿騎士に一旦預けると、フランヴェルジュは立ち上がる。
 背中に突き刺さった硝子の破片を、騎士の一人が抜いた。軽傷であるように見える。それだけは安堵して良い事だ。
 それを確認すると、フランヴェルジュは周囲を睥睨し、溜息を吐くように重い口調で言葉を発した。
「我が婚礼を祝う為に集ってくださった皆々様にこのような事を申し上げるのは心苦しいが、神の悪戯か、このような仕儀に相成り申した。式の中止をここに宣言し、皆様には深くお詫び申し上げる。そして心より願い伏し奉らん。我が義妹へ、優しき祈りを」
 婚礼の祝福が、神の御許へと向かう旅路への祝福になるなどとは、一体なんという皮肉だろう?
 そしてフランヴェルジュは思い出す。控えの間に来た時のレーシアーナの笑顔。そして言葉。
 まるで遺言ではないか、レーシアーナよ。
 人々の囁きが祈りへと変わる。
 気付けばフランヴェルジュも泣いていた
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