エスメラルダ
第二十二章・血に濡れた狂気
 国葬の後、一種の酒宴が開かれる。
 祝いの酒ではない故に恩赦はない。だが、民草へは振舞い酒が支給される。その酒は本来、フランヴェルジュとエスメラルダの祝い酒として振舞われるはずだったのだから皮肉と言えば皮肉な話だ。
 亡き人に思いを馳せて、その冥福を祈る為の酒宴は、賑やかな夜会などとは違いしめやかな空気の中で進行する。
 棺が霊園の土の下に埋められ、王城でその酒宴が始まったのは十四時からであった。随分早い時間から設けられるその酒宴は明日の朝まで続くはずであった。
 皆、料理を味わい、酒に酔う。
 そして、密やかに囁く。
 メルローアの行く末を。
 レーノックスのばらまいた毒は、彼の望み通り確かに国内外に広まった。
 エスメラルダは王妃として相応しいのか?
 そこから始まって、国の貴族の中にはルジュアインの将来を心配する者も出ている。
 メルローアの貴族達は、変貌したフランヴェルジュに恐れを抱いていた。
 レーノックスを牢に突っ込んだそれは、とても彼らが慕ってきた賢君の仕業とは思えなかった。
 恋で狂う男なのだと周囲は思ったのだ。
 そしてその男に王冠を戴かせる事が果たして正しいのかといった事まで意見として出ている。
 ただ一度の暴挙に貴族達が此処まで突き詰めて考えるのにはレーノックスのばらまいた毒の威力だけでなく、今までのフランヴェルジュがあまりに完璧であったが為であろう。
 フランヴェルジュに理想を重ねすぎた者達は、王であれども人でもあり、時に間違いを犯す事、感情に引っ張られる事を容認できないでいるのだ。
 国外の貴賓達は、式の不吉さにエスメラルダを恐れた。花嫁は呪われているのではないかと思い、それを裏付けるようにレーノックスはアシュレ・ルーン・ランカスターがエスメラルダとの婚礼直前に他界した事を吹き込んだ。
 ちびり、と、ブランシールはゴブレットの中の酒を舐めた。
 酔うわけには行かなかった。
 自分にはやるべき事がある。そう思い、彼は唇を噛み締める。
 そんなブランシールに人々が悔みの言葉を投げかけた。
 優しく綺麗な言葉を聞きながら、ろくにレーシアーナの事を知りもしないくせに、と、ブランシールは思う。そんな内心を隠し、悔む言葉に礼を言う。
 しかし、自分は彼女の事をどれだけ知っていたのだろう? 一体どれだけ?
 ふと湧いた疑問に、ブランシールは眉を寄せた。何も解っていなかったのかもしれない。
 ブランシールの眉がひそめられた事に気付いた人々は慌てて口をつぐんだ。
 慰めの言葉すら、傷に塩を塗りこむようにブランシールには感じられるのではと、そう思ったからだ。
 麗貌によぎる影がもたらす、ぞっとするまでの美しさは同性であっても息を呑むほどのものであるが故に、余計にブランシールの痛みが伝わってくるような気がした。
 実際に彼が抱いている痛みは、ただ妻を喪ったというだけでなく、その妻を殺めたのが自分であるという、立っているのもやっとなほどの深く鋭く激しいものであったのだが。
「失礼致しました」
 ブランシールを取り巻いていた貴族のうち、一人があわてて言った。
「不用意な言葉でした……申し訳ありません。王弟殿下」
「大丈夫……一寸、風に当たってきます」
 そう言うと、ブランシールは手をひらひらと振った。そして軽く頭を下げ、人混みをかき分ける。
 向かうは兄の許。
 白い長衣の裾がはためく。踵が音を鳴らす。
 誰ももう、ブランシールを引き止めなかった。そんな事ができよう筈がなかった。
 ブランシールの瞳が兄を捕らえる。
 フランヴェルジュは人々に取り囲まれて、レーシアーナの思い出話をしていた。
 如何に悪い噂が立とうとも、怖れを抱こうとも、フランヴェルジュのカリスマ性に惹かれない者はいないのだと言う事が、それを見ているだけで解った。
 目頭をハンカチで押えながら、フランヴェルジュの話に聞き入る人々。そのハンカチは飾りではない。
 ブランシールはほっとした。
 これなら、大丈夫だ。
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