エスメラルダ
 フランヴェルジュは弟の身体を抱いて叫び続けた。
 その姿を見て、兵も騎士も、皆、何かが競りあがってくるのを感じた。
 なんとおいたわしい……!!
 誰もレイリエの遺体に触れようとはしなかった。魂が抜け、肉塊となったレイリエに誰も関心を抱かなかったのである。
 フランヴェルジュの顔を伝う涙を見ていて、エスメラルダは呆けたようになっていた。
 誰が何をしたのか確かめなくてはならない。
 ここでカスラは呼べない。
 自分の悲しみに浸る余りに、フランヴェルジュの大事なメルローアに、フランヴェルジュの大事な家族に、気を配る事をおざなりにしていた。
 なんという愚かさ!!
 カスラは命令されなければエスメラルダのため以外には動かないのに!!
 かちゃり、という音が響いた。
 フランヴェルジュが、唐突にその叫び声を止め、その音の原因を見やる。
 剣、だった。
 自分がついさっき持っていくようにと弟に渡した剣だった。
 血塗れのその剣を、フランヴェルジュは片腕で掴むと、ブランシールの身体を横たえ、その唇に口づけた。
 唇が血に染まる。
 そして、フランヴェルジュは駆け出した。
「陛下!?」
「フランヴェルジュ様!?」
 兵や騎士の叫びを無視して、フランヴェルジュは駆ける。
 誰も追いつく事が出来なかった。
 それでも、正気に返ったエスメラルダは叫ぶ。
「陛下をお止めして! 誰か!!」
 それは駄目です……!! フランヴェルジュ様……!!
 しゃっ!! という鞘走りの音と共に剣が抜かれ、宝石煌く鞘は芝生に投げ捨てられた。
「ハイダーシュ!!」
 フランヴェルジュは吼える。
 ハイダーシュが拘束されているその場に、結局彼は誰よりも速く辿り着いた。
「その者を離せ!!」
 拘束していた兵達は、仕える主人の余りの剣幕に咄嗟にハイダーシュから手を離してしまう。
 後ろ手に拘束されていたハイダーシュの身体が前につんのめり、次の瞬間、首が胴を離れ、宙を飛んでいた。
 フランヴェルジュにもたれようとするかのように倒れ掛ってきた首なしの胴体を、フランヴェルジュは蹴っ飛ばした。
 そしてその腹に剣を突き立てる。
 金の髪も、白い肌も、白い服も、何もかもが血塗れになった。
 血飛沫をあげ続けるハイダーシュの身体を、更にフランヴェルジュは切りつける。
「王!! お止め下さい!!」
「陛下!!」
 制止の声が、フランヴェルジュには聞こえなかった。
 その時、ぽんと何かがフランヴェルジュの身体にぶつかった。それがフランヴェルジュを抱き締める。
 その円やかな感触にフランヴェルジュは手を止めた。
「お止め下さい……フランヴェルジュ様」
 エスメラルダであった。
 凍りついたようにフランヴェルジュは固まる。
「もう、それは死体です」
 そう、フランヴェルジュが剣をつきたて続ける物は死体であった。
 何処が刺されたのか解らないほど執拗に剣をつきたてられたのは、物言わぬ死体であり……隣国の王太子であった。
 エスメラルダの黒いドレスが血を吸い上げる。エスメラルダの涙を吸い上げる。
「……誰ぞ、ハイダーシュの首をこちらに持て」
 その言葉に、兵は動いた。
 生首を手に跪いたものに頷くと、フランヴェルジュはその生首を剣先に突き刺し、頭上に掲げると声を張り上げた。
「余は此処に宣言す! ファトナムールに宣戦布告し、その国土を焦土と化さんことを!! 流されたメルローアの王族の血に、余は誓うものなり!!」
「フランヴェルジュ様……!!」
「「「おおお!!」」」
 兵たちは声を上げた。
「各国の客人達は直ちに帰国し、メルローアに味方するか敵に回るか決めるがいい! 我が兵達よ、ファトナムールから来た者は老若男女問わず捕虜とせよ! 動け!!」
 正式な文書は即日、発せられた。
 そして、塩漬けにされたハイダーシュの生首と共にフランヴェルジュはファトナムールへと戦線を布告したのである。
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