エスメラルダ
 レイリエが王都に構える邸は蒼氷館と言った。上品な作りで、美しい館だった。
 ランカスターはこの館を愛していた。静かで、美しくて、汚いものが一切排除された館。
 だが、大きさはといえば緑麗館の三分の一程だ。レイリエはそれに苛々する。
 緑麗館はエスメラルダの為に作られた館であった。エスメラルダ一人の為だけに。
 蒼氷館は兄のお下がりでしかないが緑麗館は特別なのだ。
 その緑麗館からの知らせを、レイリエは今か今かと待っていた。
 エスメラルダの死。
 その情報が欲しかった。
 侍女の一人に金を握らせてある。
 知らせが来ないということはしくじったのかしら?
 まさか、と、レイリエは否定する。
 エスメラルダが酒に異常に強い事は知っている。ランカスターすら、腰を落ち着けて飲めばエスメラルダに飲まれてしまう。エスメラルダはザルではなくタガなのだ。
 あのワインを残す筈無いわ。
 レイリエは唇を噛んだ。
 あれはエスメラルダが好きな味ですもの。
 では。
 エスメラルダが死んで、その死を秘匿しているのかしら?
 だけれども何故?
 それに金を握らせてある侍女のフリカからの連絡が無いのもおかしいわ。
 ぷつり、レイリエの唇に血が玉となる。
「行くしかないようね」
 言ってみて、レイリエの覚悟は決まった。
 何だか嫌な予感がするのだけれども。
 頭に浮かんだ考えを、青い瞳の少女は必死で振り払う。
 例えエスメラルダが死んでなくったって次の手を打てば良いのよ。あの娘が生きている以上に悪い事なんて起こる筈がないわ!!
 レイリエはそう思うと衣装室へと足を向けた。誰に見咎められても恥ずかしくないように衣服を整える。レイリエの自尊心が誰かに醜く見られる事を許さなかった。
 アイスブルーでまとめて、シルクの靴下をガーターで止め、そして鏡の前で十八歳の自分の顔を仔細に点検した。
 何処にも小皺などないし、しみやにきび痕も見られない。肌は肌理細かく完璧であった。
「わたくしは美しい」
 レイリエは笑う。
 だけれども、すぐにその笑みは消えてしまう。
 アユリカナに呼び出されたあの日。
 あの日以来、レイリエの顔に翳りが出来た。
 それは悲しみだった。
 出血の止まらないレイリエを、アユリカナが用意した馬車が蒼氷館に連れ帰った。馬車には医者も同乗していた。
 館に着くとすぐ、『処置』が行われ、レイリエは信じられない宣告を受けたのだ。
「この先、和子は諦められますよう……」
 アユリカナが憎いとは、不思議と思わなかった。憎いのはエスメラルダだった。
 あの女がわたくしの前に現れてから、何もかもが狂い始めたのだわ。
 あの女さえいなければ、ランカスターは今でも気儘に絵を描いていただろう。そしてレイリエの待つ緋蝶城に帰ってきたであろう。
 あの女さえ。
 今でも出血が止まらないのだ。
 赤ん坊が惜しいとは思わなかったが、だが、産めるのに要らないのと産めないのとでは全く意味が違う。
 エスメラルダ。お前が憎い。
 レイリエは馬車に乗ると行き先を伝え、転寝をした。馬車の振動が心地良かった。
 緑麗館は馬車を走らせればすぐに着く。
 門扉に立っていた従僕に、レイリエは微笑を投げかけた。
 エスメラルダが死んだらこの館もこの従僕も皆レイリエのものになるのだ。
 従僕の顔は引きつって見えた。
 わたくしを歓迎しないつもりなら、後でたっぷりお仕置きをしてやらねばならないわね。
 そう思っているうちに、馬車が車寄せに着いた。しかし、誰も出迎えに来なかった。
 おかしい、と、レイリエは思う。
 この静けさはやはり、エスメラルダが死んだ所為だろうか?
 レイリエは館内に足を踏み入れた。
 扉には鍵がかかってなく、そして出迎えの召使もいなかった。そして夜のように暗い。
 喪に服しているとでも言うのだろうか?
 その時、レイリエの首筋を手刀が襲った。
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