エスメラルダ
庭園の温室の中で、フランヴェルジュとブランンシールは酒盛りをしていた。
美味い酒ではなかった。最上級の赤ワイン、モンモンレイシー。本来なら美味なる酒であるが、この日だけは苦く感じられたのだ。
それだけ、今日一日が苦い一日であった。
「なぁ、ブランシール」
「何です? 兄上」
フランヴェルジュの顔は暗い。
それに比べて、ブランシールはもう、覚悟が出来ているようだった。
「母上のお言葉通り、万事僕が取り仕切りますので兄上は何もお考えなさいますな」
「ブランシール。それでいいのか?」
フランヴェルジュの言葉に、ブランシールは笑って見せた。
「『太陽』と『望月』ですよ、兄上」
「?」
「つまり、この世の中は全て陰と陽に分けられるのです。太陽が治める日中と月が治める夜、男と女、生と死。兄上は王です。既にメルローアの為政者なのです。ですから兄上は常に陽でなくてはなりません。影の部分は僕が引き受けます。光が強い程、闇もまた深くなる。僕はその闇を一手に引き受けましょう」
フランヴェルジュはぞくりとした。そして今までやってきた事全てを振り返る。
今まで、フランヴェルジュは綺麗な仕事しかしていなかった。では生まれた闇は? 全て弟が負うてきたのであろうか?
それは、何と罪深い事。
『知らなかったのだから』
それは、何と恐ろしい事であろう。
王であるフランヴェルジュは、知っていなくてはならなかったのだ。
知らぬという事は怠慢である。いや、もっと悪い。フランヴェルジュは為政者なのだ。
「すまん、ブランシール」
鼻の奥がつんと熱くなった。
「すまん」
「何をお謝りになるのです? 兄上?」
「俺は、王失格だ」
涙が出た。男が泣くなど、あってはならぬ事だ。更に言うならば、フランヴェルジュは国王である。それなのに。
エスメラルダが意識不明で密やかに自室へ運ばれてきた時も、最初こそ取り乱したがすぐにフランヴェルジュは落ち着いたように見えた。泣いたりなどしなかった。
ブランシールは嬉しかった。別に褒めて欲しいから汚れ仕事を密やかに片付けていたのではない。ただ、兄の無骨な手を守りたかっただけだ。
だけれども、兄上は僕の為に泣いて下さっているのだ! エスメラルダの命が危うかったときでさえ涙しなかった兄上が!!
ブランシールは胸の中に心地よい熱を抱えて口の端に笑みを浮かべる。
「兄上。どうか、泣かないで」
ブランシールの言葉に、フランヴェルジュは何度も頷く。
可愛いひとだ。
ブランンシールはそう思う。
鼻が赤くなっている。涙は止まらない。ブランシールは袖なし上着のポケットからハンカチーフを差し出すと兄に渡した。
フランヴェルジュが涙を拭う。
ああ!
ブランンシールは思った。
今だけは、今だけは僕だけの兄上だ!!
その点においては、ブランンシールはレイリエに感謝さえしたくなる。そう、感謝しているとも。心から。
だけれども、彼女には死んでもらわなくてはならない。
フランヴェルジュの隣で王冠を戴く予定の女性を、弑しようとしたのだから。
『真白塔』の最上階に連れて行き、猿轡と拘束具を外した時の彼女の罵声。
とても王家の血族だとは思えなかった。
遅れて入ってきた兄に、レイリエは媚びて見せた。ついさっきまで夜叉の顔をしていた女が花の顔(かんばせ)を用意するのにそう時間はかからなかった。レイリエはドレスの胸元を自らの手で裂き、フランヴェルジュを誘惑しようとしたのだ。
あんな汚い女に兄上を穢されてたまるか。
しかし、どうやって殺せばよいものやら。
静かに、人目につかないように?
「ブランシール……」
フランヴェルジュが呼んだ。
「何でしょう? 兄上」
「せめて……レイリエには選ばせてやってくれ。死か審判か」
「甘いですね。生きている限りレイリエはエスメラルダの命を狙いますよ?」
ブランシールは一蹴する。
フランヴェルジュは唇を噛んだ。
死しかないのか。他に道はないのか?
美味い酒ではなかった。最上級の赤ワイン、モンモンレイシー。本来なら美味なる酒であるが、この日だけは苦く感じられたのだ。
それだけ、今日一日が苦い一日であった。
「なぁ、ブランシール」
「何です? 兄上」
フランヴェルジュの顔は暗い。
それに比べて、ブランシールはもう、覚悟が出来ているようだった。
「母上のお言葉通り、万事僕が取り仕切りますので兄上は何もお考えなさいますな」
「ブランシール。それでいいのか?」
フランヴェルジュの言葉に、ブランシールは笑って見せた。
「『太陽』と『望月』ですよ、兄上」
「?」
「つまり、この世の中は全て陰と陽に分けられるのです。太陽が治める日中と月が治める夜、男と女、生と死。兄上は王です。既にメルローアの為政者なのです。ですから兄上は常に陽でなくてはなりません。影の部分は僕が引き受けます。光が強い程、闇もまた深くなる。僕はその闇を一手に引き受けましょう」
フランヴェルジュはぞくりとした。そして今までやってきた事全てを振り返る。
今まで、フランヴェルジュは綺麗な仕事しかしていなかった。では生まれた闇は? 全て弟が負うてきたのであろうか?
それは、何と罪深い事。
『知らなかったのだから』
それは、何と恐ろしい事であろう。
王であるフランヴェルジュは、知っていなくてはならなかったのだ。
知らぬという事は怠慢である。いや、もっと悪い。フランヴェルジュは為政者なのだ。
「すまん、ブランシール」
鼻の奥がつんと熱くなった。
「すまん」
「何をお謝りになるのです? 兄上?」
「俺は、王失格だ」
涙が出た。男が泣くなど、あってはならぬ事だ。更に言うならば、フランヴェルジュは国王である。それなのに。
エスメラルダが意識不明で密やかに自室へ運ばれてきた時も、最初こそ取り乱したがすぐにフランヴェルジュは落ち着いたように見えた。泣いたりなどしなかった。
ブランシールは嬉しかった。別に褒めて欲しいから汚れ仕事を密やかに片付けていたのではない。ただ、兄の無骨な手を守りたかっただけだ。
だけれども、兄上は僕の為に泣いて下さっているのだ! エスメラルダの命が危うかったときでさえ涙しなかった兄上が!!
ブランシールは胸の中に心地よい熱を抱えて口の端に笑みを浮かべる。
「兄上。どうか、泣かないで」
ブランシールの言葉に、フランヴェルジュは何度も頷く。
可愛いひとだ。
ブランンシールはそう思う。
鼻が赤くなっている。涙は止まらない。ブランシールは袖なし上着のポケットからハンカチーフを差し出すと兄に渡した。
フランヴェルジュが涙を拭う。
ああ!
ブランンシールは思った。
今だけは、今だけは僕だけの兄上だ!!
その点においては、ブランンシールはレイリエに感謝さえしたくなる。そう、感謝しているとも。心から。
だけれども、彼女には死んでもらわなくてはならない。
フランヴェルジュの隣で王冠を戴く予定の女性を、弑しようとしたのだから。
『真白塔』の最上階に連れて行き、猿轡と拘束具を外した時の彼女の罵声。
とても王家の血族だとは思えなかった。
遅れて入ってきた兄に、レイリエは媚びて見せた。ついさっきまで夜叉の顔をしていた女が花の顔(かんばせ)を用意するのにそう時間はかからなかった。レイリエはドレスの胸元を自らの手で裂き、フランヴェルジュを誘惑しようとしたのだ。
あんな汚い女に兄上を穢されてたまるか。
しかし、どうやって殺せばよいものやら。
静かに、人目につかないように?
「ブランシール……」
フランヴェルジュが呼んだ。
「何でしょう? 兄上」
「せめて……レイリエには選ばせてやってくれ。死か審判か」
「甘いですね。生きている限りレイリエはエスメラルダの命を狙いますよ?」
ブランシールは一蹴する。
フランヴェルジュは唇を噛んだ。
死しかないのか。他に道はないのか?