エスメラルダ
 レーシアーナはアユリカナの膝の上に顔を突っ伏し、泣いていた。
 今日のパーティーは仕組まれたものだった。
 ブランシールが街に出て水煙草を吸う暇がないよう、また部屋で吸う暇は充分あるよう、計算してブランシールの中座を許した。
 そして、今頃はフランヴェルジュとエスメラルダが衛兵に悟られる事なく、ブランシールを拘束している筈である。
 レーシアーナは酷い裏切りを犯した気分で一杯だった。
 己はブランシールの妻になる身である。それでありながらこの謀を未来の夫に知らせなかった。自分の腹の子の父親に知らせなかった。
「自分を責める必要はありませんよ、レーシアーナ」
 アユリカナは優しく言う。
 レーシアーナは何度も頷きながら、それでも止まらぬ涙で、アユリカナの喪服の襞を濡らしていた。
 ブランシール様……!
「大丈夫です。レーシアーナ。泣く事はありません。薬さえ絶てばブランシールは元のあの子に戻るでしょう。そうなったら、あの子は貴女を幸せにする為に努力を怠らないでしょう」
 アユリカナの優しい慰めに、レーシアーナはふるふると首を振った。
「あのお方はわたくしをお許しにはならないでしょう。わたくしは、あのお方を守る為にあるのに……!!」
「時には厳しくなる事も必要ですよ、レーシアーナ。長い目で御覧なさい。このまま廃人となるまで水煙草を吸わせるのが貴女の愛ですか? 違うでしょう?」
「で、でも、言葉で説得して……」
「無理です」
 アユリカナはきっぱりと言った。
「昔、わたくしを欲して、薬漬けにしようとした者がいるのです。とある貴族でした。わたくしを地下牢に監禁して薬物を与え……レンドルの手の者に助けられた時、わたくしは廃人寸前でした。薬を求める衝動に勝てず、暴れ、レンドルは泣きながらわたくしを牢にいれ、自ら命を絶つような事がないように拘束したのです。半年かかりました。わたくしの体から薬が抜けるまで。でも、薬の効果はそれだけではなかった。わたくしが、流産しやすい体質である事は周知の事実でしょう? あの時与えられた薬物故だそうよ。幸い、ブランシールはまだ廃人の域に達していない。三ヶ月もすれば毒が抜けるでしょう」
 アユリカナが淡々と語る言葉にレーシアーナの涙が乾いた。
 母親なのだ。一番辛い筈なのだ。
 だけれども、何事もなかったかのように振舞っている。
「ご免なさい、アユリカナ様」
「何を謝るのです? ああ、先程の話はくれぐれも内密に。外聞が悪いですからね」
 アユリカナは笑った。その笑顔は今もって若々しく、美しい。
 メルローアの黄金姫と呼ばれた女性。
 レーシアーナはいつかはこうなりたいという理想をアユリカナの上に重ねるが、レーシアーナでは無理であろう。
 エスメラルダは醜聞に塗れていた。
 そのエスメラルダを王宮に招く事は困難であった。だが、アユリカナは何処からも文句のつけようがない形でそれを可能にした。
 そして、ブランシールに四人の朝議を提案させたのは実にアユリカナであった。
 その目的はエスメラルダとフランヴェルジュの距離を近づけると共に、エスメラルダをこの国、メルローアの政治に関わらせる為である。
 半分は上手くいった。
 ただ残念なのは恋の炎よりも為政者としての炎が燃えた事。
 それでも、それはそれで良い事であった。玉座に飾り物の姫をつけるつもりはない。為政者としての資質があるにこした事はない。
 次はどう近づけるかであった。
 そこでアユリカナはブランシールの問題をあの二人に任せた。共通の秘密を持つという事はそれが余り色っぽい事でなくとも、二人の間を縮めてくれるだろう。
 そう、全て上手く行く。
 ブランシールの、我が子の惑乱には胸が痛んだが、この国の礎の為に利用できるものなら何でも利用するつもりだった。
 レンドルが残したこの国を守る事こそ我が使命。
「大丈夫です。レーシアーナ。貴女はただ毅然としていれば良いの。その内使いがくるでしょう」
 長い夜だった。誰にとっても。
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