エスメラルダ
 マイリーテ・ダムバーグが来た時、エスメラルダは緑のドレスを着ていた。波紋の浮き出た美しい絹は手紙と一緒になって送られて来たフランヴェルジュからのプレゼントであった。
 それをドレスに仕立てたのは退屈を囲う二人の少女達である。使用人任せにしても良い仕事をエスメラルダとレーシアーナはひたむきに取り組んだ。
 そのドレスに苔緑のリボンを合わせ、エスメラルダはレーシアーナが取り仕切るお茶の席に同席した。
「ダムバーグ夫人にはようこそはるばると、わたくしめの退屈を紛らわせる為にいらして下されました。心よりお礼申し上げます」
 レーシアーナがそう言いながらダムバーグ夫人を見やる。夫人は唇に笑みを刷き、言葉を返す。
「お腹の和子様は順調でしょうか? レイデン侯爵令嬢。式の日取りがどうなるのかで宮廷は大賑わいですのよ」
 それはレーシアーナが妊娠しているからだ。初夏に身籠った子は夏の盛りに発表された。
 そして夏の終り、秋の息吹が耳元を掠めそうな頃、今、こうしている。
 春の最初の鍬入れと、レーシアーナの出産は余りに近かった。だから式が早まるか延期されるか人々はその噂で喧しい。
 尤も、そこには幾ばくかの非難と嘲笑もこめられていた。
 婚姻前に妊娠するなどはしたない───。
 だが、レーシアーナはそれら総てを解った上で言う。
「総ては陛下の御心のままに」
 レーシアーナと違い、エスメラルダはそれが結構難しい問題である事を理解していた。
 早めれば父王の死に敬意を欠いた事になり延期すれば乳飲み子を抱いた花嫁となる。
 王弟ブランシール。
 フランヴェルジュに子供がいない今、ブランシールは王位第一位継承者であり、レーシアーナの腹の子は王位第二位継承者となる。
 それ故、子供が生まれるのは婚姻後が良いであろうとフランヴェルジュは思っているらしい。少なくとも手紙にはそう書いてあった。
 だが、父王への敬意云々は時が来れば冷める話だからよしとしよう。問題はブランシールがいつ、毒に打ち勝つかだ。水煙草の毒が抜けきるまで婚姻は無理だ。
 婚姻はフランヴェルジュの脳内では冬を予定されている。だが、エスメラルダは決定事項ではないこれをレーシアーナに伝えるつもりは無かった。
 フランヴェルジュの考えている通りに行けば、レーシアーナは身籠った身体で婚礼衣装を着るという屈辱に耐えねばなるまい。国内外の王侯諸侯の視線に耐えねばならない。だがそれは些細な事である。
 エスメラルダは上品にお茶を味わった。
 その一挙一動にマイリーテの視線が突き刺さるようである。だが、エスメラルダは意に介さない……でいるのは無理だった。
 もし。
 もしも。
 お祖母様と呼んで甘える事が出来たら。
 そんな淡い期待は綺麗さっぱり捨てたと思っていたのにまだ残っていたらしい。
 だけれども、マイリーテは母の母なのだ。エスメラルダが余りにも早く喪ったリンカの事を知る今では殆ど居ない人間なのだ。
 エスメラルダは宮廷に入ってからかつてのリンカの友人達を探そうとした。ところが、エスメラルダは憤ることとなる。
 リンカーシェは死んだ。
 それが彼女らの答えだった。
 ダムバーグ家が事実を曲げたのか、淑女達の潔癖さがそう言わせたのか。
 エスメラルダは『母』に飢えていた。
 アユリカナだけでは埋められぬ『母』に。
 エスメラルダはレーシアーナが凄いと思う。何故ならレーシアーナは実家には見向きもしないからだ。幼い頃、レイデン侯爵家が、つまりは父や母がレーシアーナを売り払ったからだというが思慕の情を全くといって良い程表に出さないその態度は羨ましかった。
 わたくしはお祖母様に何を求めているのかしら?
 マイリーテは視線をエスメラルダに貼り付けたままレーシアーナと会話を続けていた。
 上っ面だけの会話。エスメラルダからすれば寒々しくもある。
 会話には加わらず、エスメラルダはマイリーテ・ラスカ・ダムバーグを観察した。
 足元から順に見て行ったのだが顔を上げた時、目が合った。
 緑の瞳。同じエメラルド。
 唐突にそれが嫌だと思った。
 この人と同じ目の色は嫌だ。
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