エスメラルダ
 アユリカナは地下の霊廟に降りていた。
 そして生前と変わらぬ姿の夫の許に足を運ぶ。
 防腐処理の技術は完璧だった。始祖王バルザを始め何人の王族が此処に眠っているのか、考えただけで気が遠くなる。
 この霊廟は『真白塔』の地下だけでなく王城の地下にまで及んでいる。慣れぬ者が迷い込んだら出られぬのは必至。
 しかしアユリカナの足取りに迷いはない。
 銀の燭台に蜜蝋。それを掲げてアユリカナは歩き、辿り着く。
 レンドルは優しい顔で眠っていた。
 断末魔の苦しみようを見ていたアユリカナには信じられない事であるけれども、その顔は穏やかであった。
 もう二度とレイリエの虜にはならぬ夫。
 知っていた。
 夫がレイリエを抱いている事をアユリカナは知っていた。レンドルの告白を聞く前から。
 夫婦なのだ。
 血よりも濃い絆で結ばれているのだ。
 気付かぬ方がおかしい。
 だけれども責めずにいたのはレンドルが一番苦しんでいる事を知っていたが為だ。
 苦しんでいる夫を、更に糾弾する事は躊躇われた。アユリカナには出来なかった。
「貴方……」
 アユリカナは燭台を枕元に置くと、そっと冷たい頬に触れた。
「わたくしは駄目な妻だったわ」
 アユリカナの黄金の瞳が潤む。
「子供を、三人しか残せなかった」
 流産。早産。
 沢山の水子が生まれた。
「そして、もう皆、わたくしから去っていく」
 ぽつん、レンドルの頬に涙が一滴、落ちた。
 ぽつん、もう一滴。
「子供の成長は嬉しいことだと思っていたわ、レンドル」
 少女時代の口調で、アユリカナはレンドルに語りかける。
「でも嬉しいだけじゃないの。初めてフランヴェルジュがロンパースを卒業して半ズボンをはいた日を覚えていて? わたくしが泣くのが不思議だと貴方は言ったものだけれども、女はいつまでも子供が自分だけの可愛い赤ちゃんであったならと、思ってしまうものなのよ。早すぎるわ。レンドル。早すぎるのよ。あっという間に皆大人になったわ。エランカを手放したときも辛かったけれども今度はもっと辛い。胸が痛いわ。フランヴェルジュもブランンシールも、わたくしから去っていく。二人とも女を見る素質はあるわ。貴方譲りかしら? エスメラルダもレーシアーナも、とても良い娘よ。嫌な女だったならって思うわ。そうしたら苛めてやれたのにね」
 アユリカナは夫の胸に顔を埋めた。
 もう温かくはない胸。もう心臓が脈打たない胸。
 わたくしの、レンドル。
 彼の心はわたくしだけのものだった。
「貴方を、許さないわ」
 アユリカナは言った。
 ぽつり。また一滴黄金の瞳から涙が搾りだされる。
「わたくしをおいて逝った貴方を許さないわ。わたくしを一人にした貴方を、許さないわ」
 しかし、許さないといっても何が出来るというのだろう?
 胸元から顔を離し、アユリカナは彼の胸元を何度も叩いた。小さな手で。
『小さな手だ。細い指だ。子供のような手だな。だが私はこの手が良い。この手で私を支えて欲しい』
 レンドルがそう言ってアユリカナの手に口づけた時、アユリカナはその言葉が信じられなかった。
 アユリカナが薬漬けに去れて幽閉されていた期間、彼女は何度犯された事であろう。そして妊娠し、意識が殆どはっきりしないアユリカナは夢うつつの中、堕胎させられた。
 アユリカナはだから、子供がもう産めない身体になったと医師に告げられていたのだ。
 次代を紡げぬ王妃など。
 そう思った。
 だが、レンドルは言ったのだ。
『それでも構わない』
 と。
『生涯私が貴女を支えよう』
 先に逝ってしまうと知っていたら、アユリカナはレンドルの求愛を受けたであろうか。
「答えてよ! 返事をしてよ!!」
 腕から力が抜け。棺に手をかけたまま、くずおれるようにしてアユリカナは座り込み、そして号泣した。
 死者だけが聞いていた。
 二度と彼女を抱けぬ死者だけが。
< 86 / 185 >

この作品をシェア

pagetop