エスメラルダ
 ブランシールは未来の妻を膝の上に乗せ、ベッドから半身を起こした状態ののまま、会話していた。
 会話の中に水煙草の事は出てこなかった。
 忘れたい記憶として、二人、共に口に出すことは無かった。
「シビルでは寂しかっただろう? あそこは療養地としては良いところだけれども、社交的な場所ではないからね。エスメラルダがいたのならまだマシだったと思うけれども」
 ブランシールは自分がいなかったときの事を聞く。レーシアーナの事は勿論、エスメラルダの事も。
 ブランシールは水煙草の禁断症状に苦しむ間でさえただ一人の事を考えていた。
 たった一人の事を。
 何より強く。
 何より激しく。
 だが、それはレーシアーナには聞けそうにはなかった。
 毒が抜けて、この部屋に移されてから、アユリカナが話してくれた。レーシアーナとエスメラルダは王城には居ないのだと。
 自分のアリバイ作りの為にシビルにいるのだと聞かされた。
 だが、特に寂しいとは思わなかった。
 それよりも、ブランシールは恐ろしかったのである。
 レーシアーナが妊娠していると言う事が。
 兄は公務の間を縫ってはブランシールに会いに来てくれた。それがひたすらに嬉しく、その間だけはレーシアーナの妊娠にも怯えずに済んだ。
 自分の子供など想像がつかなかったのである。
 だが、こうしてレーシアーナを膝に抱いていると、その腹に宿るのが確かに自分の子だと解る。愛しかった。
 そんな気持ちは初めてで最初、ブランシールはその態度に表さずとも酷く動揺していた。
 だけれども、温もりを感じていくたびに心が解れていく。
 激しい情熱ではなかった。
 例えるならば、ほんわりと温かい、春の日差しのような優しい愛おしさ。
 それをレーシアーナとその腹の子に感じる。
 ブランシールは、兄からエスメラルダの心を捕らえたという事を聞いていた。
 嬉しそうに話す兄に覚えた寂寥感。
 もう自分は兄の第一番で無い事がまざまざと解ってしまい、辛かった。
 だけれども、それはブランシールの望んでいた事でもある。
 あの美しい娘を、兄の隣へ。
 それは自分の望んでいた事だった筈だ。
 エスメラルダとフランヴェルジュの婚姻は自分達の婚姻の後になるであろう。
 僕の兄上。
 だけれども。
「寂しかったですわ。とても。でもエスメラルダがいてくれて良かったと思います。エスメラルダのお祖母様がいらした時は吃驚しましたけれども」
 潤んだ瞳で微笑みながらレーシアーナが継げた言葉は爆弾だった。
「何だって?」
「あ」
 レーシアーナは口を押えた。
 余計な事を言ってしまったわ! あれはエスメラルダの個人的な事柄なのに!!
 だが、ブランシールはすこぶる優しい声音で問う。甘い甘い声音。
「詳しく知りたいな、その話。エスメラルダにはお前から聞いたなんて言わないよ。教えてくれないか?」
「でも……」
 レーシアーナは躊躇う。
 友人への忠節と、ブランシールへの忠誠。
 ブランシールの言葉は絶対だ。それは今までもこれからもそうだ。
 だけれども、エスメラルダの事は……?
 たっぷりと静寂に身を任せた後、仕方なくブランシールは口を開く。
 嘘よりは真実の方が強い。
「……いいかい? レーシアーナ。エスメラルダはこの国の正妃になる」
「! ……んですって!?」
 掠れた声音でレーシアーナは問い返した。
 あのエスメラルダが、正妃?
「兄上はエスメラルダ以外の娘を妻に選ぶつもりはない。そして母上も自らの後継としてエスメラルダ以外の娘を選ぶおつもりが無いということだ。だから」
 ブランシールは言葉を切った。
「ダムバーグ家の娘として君臨してくれるならこれ以上のことはないのだよ」
「ああ、ブランシール様」
 レーシアーナが困惑した声を出した。
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