エスメラルダ
「揃ったわね」
 アユリカナが満足気にウィスキー入りの紅茶を飲む。よく磨いたマホガニーの揺り椅子に体を預けて。
 そろそろ夜は冷え込むので暖炉には火が入っていた。普通の薪ではなく漂流木を取り寄せる。アユリカナは暖炉の中の炎のダンスを見るのが好きだった。漂流木を薪として使うと良く火が跳ねるのだ。色合いも赤というよりは金に近くなる。
 だが、今日のアユリカナはそのようなものを見てはいなかった。
 向かいの長椅子に座ったエスメラルダとフランヴェルジュ。斜め向かいの二脚の椅子に座ったレーシアーナとブランシール。
 今までなら長椅子にフランヴェルジュとブランンシールが座ったであろう。そして二脚の椅子にはエスメラルダとレーシアーナといった風に。
 だが今日からは違う。
「フランヴェルジュ、さぁ、貴方の婚約者の話を家族皆にして頂戴」
 アユリカナのその言葉はレーシアーナを既に家族と捉えた上での発言であるが、誰も異論を挟まなかった。
 フランヴェルジュが立ち上がる。エスメラルダもすぐにそれに倣う。
「『誓言』によって生涯唯一人と定めた女性を、国王ではなく、ただのフランヴェルジュ・クウガとして母と弟、未来の妹に紹介する。エスメラルダ・アイリーン・ローグ嬢だ」
「おめでとうございます! 兄上!!」
 ブランンシールが立ち上がり拍手すると皆もそれに習った。
 エスメラルダは、はにかみながらも笑っていた。幸せそうに。
 事実彼女は幸せだった。
 エスメラルダはまた幸せになれる日が来るとは思ってもいなかった。
 神様、主よ、有難うございます。
 エスメラルダは心の中で祈りを捧げる。
 誰も彼もが浮かれていた。
 弟は兄の耳元で卑猥な冗談を言い、義理の姉妹になる事が決まった娘達は、片方が、教えてくれなかったなんて酷いわと言いながらも相手から恋の話を聞きだそうとする。
 ねぇ、秘密の恋って甘くない?
 そんな事を言い交わしながら。
 アユリカナは微笑んでいた。
 誰もがこの場に居る者全ての幸せを疑う事はなかった。
 冬が来て雪が溶けて、その先も幸せで笑っていられると思っていた。信じていた。
 まだ運命の残酷さを知らなかった。
 そうでなければ、運命の残酷さを忘れていた。
 予兆を見逃したのはエスメラルダ自身だった。いや、見て見ないフリをしてそのまま忘れてしまっていたというべきか。
 エスメラルダは、彼女に許された時間の中で、後に激しく後悔する事になる。
 だが、今はそんな事など知らずただ皆と笑っていた。
 笑っていられる事が幸せで。
「アユリカナ様」
 突然声を張り上げたエスメラルダにみなの視線が集中する。
 レーシアーナも話が途切れたと思ったら突然にエスメラルダが未来の母の名を呼んだので青い瞳を見開いている。
「わたくしは此処に在る全ての人間との関わりにかけて誓います。『審判』を受ける事を。その日はアユリカナ様が決めてくださって結構です」
「エスメラルダ!? お前、相談もなしに……!!」
 フランヴェルジュが声を荒げるが聞いていない振りをする。
「……解りました」
 アユリカナの金色の瞳に涙が浮く。
「有難う……よく決意してくれました、娘よ」
 ぽつり、一粒の涙が床の上を散った。
 かつんと床を蹴るようにアユリカナはエスメラルダとの距離を詰めるとその身体を抱きしめる。
「エスメラルダ、貴女は良い子ね」
 砂上夜夢の香りがエスメラルダの鼻腔をくすぐる。
 この御方が、『審判』さえ受ければお母様になって下さるのだわ。
 それはエスメラルダには甘い夢だった。
 本当に夢ではなくて?
 子爵位を金で買ったローグ家の娘が次の正妃になるなんて。
 だけれどもフランヴェルジュは確かに『誓言』をくれた。
 『誓言』は一生に唯一人だけ捧げる事叶うもの。生涯の誓い。
 故にフランヴェルジュはエスメラルダだけのものなのだ。
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