渇望の鬼、欺く狐
 赤子を抱くその存在は、静かに鬼へと歩み寄る。

 目を見開く鬼に気付いた狐が、鬼の視界を辿っても、そこには何も見当たらない。

 声をかけたけれど、鬼にその声は届いてはいない様子だった。

 鬼は幻影を目に映しているのだろうか。

 それは誰にわかる物でもない。

 だけど、鬼の頬に触れた感触。

 鬼の目に映る存在の、赤子を抱く手とは反対の手が、優しく鬼の頬を包んで。

 温もりを感じた。

 柔らかさを感じた。

 長い間、鬼がずっと追い求めていた感触その物だった。


 向けられた微笑は、何も告げてはくれないけれど。

 だけど鬼には、確実にその微笑の意味が伝わる事となる。



「……っ、ありがとう」



 鬼が呟いた言葉。

 それと共に消えた頬の感触と、二つの姿。

 鬼が流した涙は。



「……藍? どうしたの?」


「いや……、何でもない」



 間違いなく、喜び故の物だった。
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